見えぬゆえの不安というはとめどなく駅にこころにマスク広がる
松村正直 塔2020年5月号 P6
これは塔5月号に載っていた歌。街のなかで人々がみなマスクをつけだした頃の歌でしょう。
眼には見えないウイルス。だからこそやっかいで、感染の恐怖や周囲への疑いもじわじわと広がっていった時期を思い出します。
たいていの人がマスクをつけている光景を、「駅にこころに」としたことで、覆われているのは、顔だけではなく、もっと広いものであると感じます。
病気の蔓延が変化させ、破壊していくのは健康や身体の状態だけではないのでしょう。
心にもマスクをつけていった結果、感染する人としない人、助かる人と助からない人、身近に感染者が出た人と出なかった人、様々な違いで分断が進むのではないかな、と感じます。
仕事を失う人とそうでない人、お金に困る人とそうでない人、経済的な差に苦しむ人もさらに多くなります。
世界的な病気の広がりで、人間の暮らしや考えはどう変わっていくのか。
現代のように国家間で人の移動が多い社会になると、伝染する病気が流行すればあっという間に広がってしまうことは知識としては知っていましたが、いざ発生すると、本当にできることの少ないこと・・・。
デマに振り回されないように、できるだけ正しいと思える情報やデータを追いつつ、混乱のなかで思ったのは、現実に対抗できるだけの力を磨いてきたのかどうか、という自分自身への問いでした。
混乱のなかで傷つくこともあれば、得ることや学ぶことは一体なんなのか。
すでに手元には、塔6月号が届いています。6月号に掲載されている歌はだいたい、3月ごろに詠まれた作品が多いため、コロナウイルス関連の歌が多くなっています。
これから先も、生活の変化をもたらした新型コロナウイルスについて、いろんな歌が詠まれることと思います。
地震などの大規模な災害や大きな社会的事件が発生したときには、膨大な数の歌が詠まれ、流れていきます。
今回もその一つとして、多くの作品が詠まれるし、いろんな形で作品化されるでしょう。
どの分野でもそうですが、優れた作品がある一方で、ステレオタイプ、ありきたり、新聞の見出しっぽい、そんな歌も目にするでしょう。私自身が、あまり出来の良くない歌を詠むかもしれません。
世界中で起こっていることですが、病気の流行をめぐって尊い行為がある一方で、愚かな行為や発言を見聞きすることもあります。どちらももちろん、人間が行っていることです。
おそらく正しいだろう情報や励まし。デマや根拠のない嘘、醜い争いや心無い発言や差別。
あらゆる情報が大量に押し寄せてくる世の中にいることに、少しおののきながら、私は少し冷めた眼で眺めている状態です。
多くの人と同じように、私もたぶんコロナウイルスに関した歌を詠むでしょう。どんな短歌ができて、だれがどんな風にキャッチするのか。そして他人の作品で、どの作品がいいのか良くないのか。私が自分の目で見ていきたいと思います。