塔7月号には塔新人賞や塔短歌会賞の発表があります。
今年も読みごたえがあります。
さて、月集から。
〈歌一つ残ることなく・・・〉と詠む文明 〈残す〉と一字の差を思いみよ
池本 一郎 P2 *〈残す〉の「す」に○あり
今回の池本氏の一連には
倉吉市に建てられた歌碑にちなんで詠まれています。
「残る」と「残す」の差は、
自然と残るのか作者の意志で残すのか、の差でありつつ
もっと大きな違いがある気がします。
「思いみよ」という結句がとても重くて迫力があります。
歯を見せて笑はないことまつすぐに見つめずしかも目を離さないこと 真中 朋久 P3
これもなかなか難しい歌。
誰かの視線や表情を描写しているけど、だれなのか、はっきりわからない。
歯を見せないにしても、笑っている顔なのかもしれない。
まっすぐ見ているわけではないにしても、「目を離さない」という。
主体と相手の関係がわからないので、
なんとなく気味の悪い印象をもちながら、気になる歌です。
霽れてまた時雨れはじめる近江なり湖東の山に虹ひくく立つ 山下 洋 P3
上がってもまた降ってくる時雨。
冬のはじめの時雨に濡れている近江の風景。
「湖東の」「虹ひくく」といった描写が細やかで印象的です。
この歌の中には、天候が変わる時間、近江という場所、
低い位置にある虹という空間の把握、
といった要素が組み込まれていて
把握の重なりに注目しました。
うねりいる風なか子らの声の穂は天をつついて日脚を延ばす 池田 幸子 P5
「声の穂」という表現がいいな、と思います。
たぶんまだ活発な年齢の子供たちのことでしょう。
声が響く様子を伸びていく作物の穂としてとらえることで
のびやかなエネルギーを表現しています。
しかも「天をつついて日脚を延ばす」によって
子供たちの成長していくエネルギーと、
だんだんと日脚が長い季節に移りつつあることを重ねています。
パンにバタすうつと溶けてゆくやうな夜々の眠りは人のほとりに 岡部 史 P7
バタつきパンのように
バターを「バタ」と書くことで妙にレトロ感があります。
パンのうえで滑らかにとけていく「バタ」のような眠りが
訪れるのは幸せなこと。
「パンにバタ」の2・1・2の小刻みな音から
「すうつと溶けてゆくやうな」というなめらかな音のつながりへの展開も
とても面白く、効果的な一首です。
玉葱が芽を出しその芽を葱として摘み取るような日を重ねつつ 永田 紅 P11
どんな日々なのだろう、と立ち止まって考えてしまいます。
玉葱から芽が伸びて、さらにその芽を摘み取る、ということは
なにかタイミングを逃しているような日が続いているのかもしれない。
仕事と子育てに追われている日の比喩として
ちょっとユーモアのある詠みぶりだと思います。
葉櫻はせつないと言う青年の木の洞くぐる声のしずけさ 山下 泉 P14
「葉桜」ではなくて「葉櫻」という語の選択はなんだろう。
ちょっと古風な発想の青年なのかもしれない。
もっとも注目される時期を過ぎた桜の木の姿を
「せつない」というのは分かる気がします。
「木の洞」は桜の木かもしれないな、と思いつつ
「声のしずけさ」になんとなく木を哀れむような感覚を感じます。