波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

菅原百合絵歌集『たましひの薄衣』 【歌集・歌書探訪】

塔2023年11月号に掲載された書評を掲載しておきます。菅原百合絵さんの第一歌集『たましひの薄衣』を取り上げました。

 

塔の「歌集歌書探訪」のコーナーで私が担当する書評は、今回が最後です。2年間に4回だけの出番ですが、とても楽しく書籍を読み比べ、書くことができました。

 

担当させてくださってありがとうございました。また別の機会があれば、よろしくお願いいたします。

 

 

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一首評「銀」

あたたかき秋なり薄の穂の群れは風吹くたびに銀が洩れだす

澤村斉美『galley』「六つの季節」P18

11月になっても暑い日があるな、とか思っていたのですが、今日とか急に寒い! 気温の激変がつらいです。

 

薄の穂が靡くさまは、軽やかでノスタルジック。秋から冬にかけて、馴染みのある風景です。

 

この一首で不思議なのは、「風吹くたびに銀が洩れだす」。

 

「銀」とはなんなのか。しばらく悩みました。実際の銀ではもちろんなくて、イメージとしての銀色だと思います。

 

「洩れだす」という動詞もすこし奇妙で、液体っぽいイメージになってきます。薄の穂を器として、今まで溜まっていた銀が、風の動きによって「洩れだす」。

 

その動きを抑えることができない感じがあって、「銀」を受容しないといけないような気分を感じます。

 

「六つの季節」の一連には、仕事や職場の風景の合間に、植物が詠まれています。えのころ、すすき、南天など。身近に見る植物ばかり。

 

労働の疲れや日々の暮らしの合間にある薄の穂。人間とは少し距離のある位置で揺れる薄の動きや銀色のイメージがきれいで、儚い雰囲気です。

 

一首評「針」

逢ふと縫ふ、いづれも傷をつけてをり女のもてるいつぽんの針


澄田広枝「桐のむらさき」『ゆふさり』P166

「縫ふ」針はもちろん裁縫の針。よく似た漢字で「逢ふ」があります。

 

「逢ふ」のなかに見出す針。先端で布をチクチク刺していく針の鋭さと、逢うことによって相手を傷つける鋭さ。

 

逢うことは、おそらく恋情でありながら、同時に相手を傷つけることもあるから。距離の近さ、関係の深さによっては、逢うことで苦しさや苦みを与えてしまうことがあります。

 

この歌ではわざわざ「女のもてるいつぽんの針」と限定されているので、女性の中に潜んでいる鋭さ、鋭利な部分、ととらえておきます。

 

逢うことの苦しさや切なさを「針」というアイテムで具体的なイメージに結びつけています。単なる喜びだけではない複雑さが潜んでいて、印象深い歌のひとつでした。

  *

先日、歌集『ゆふさり』批評会に参加してきました。作者である澄田さんとお会いしたのは初めて。澄田さんの笑顔がとても印象的でした。

 

スタッフの方々の手作り感のある、気持ちのこもった運営がなされた、素敵なイベントでした。久しぶりに顔を見てお話できた塔の会員さんなどもいて、嬉しかったです。

 

一冊の歌集を出版するって、やはり大変なことですね。大事に作られた一冊を大勢の友人・知人で読み込んで、話し合う批評会は、とても贅沢な機会だと思います。貴重な機会をありがとうございました。

 

 

一首評「言葉」

わたしには言葉がある、と思わねば踏めない橋が秋にはあった

大森静佳「アナスタシア」『ヘクタール』P42

鮮烈な言葉の世界を持っているのが、大森静佳作品の特徴。「橋が秋にはあった」などア音によるリズムも心地よい。

 

「わたしには言葉がある」とは、まさに言葉を紡ぎ続けてきた時間があるから言えるのでしょう。

 

そしてそう思うことで、やっと踏めた橋がある。季節は秋。夏ほど日差しは強くなく、風の冷たさや木々の美しさの中かもしれない。

 

なにか厳しい場所に行くつもりなのか、並々ならぬ決意。「と思わねば踏めない」がポイントかな…。

 

仮に~~とでも思わないとやってられない、みたいな感じの、どうにか実行できる境地。

 

言葉は自分のなかから紡いでいくもの。他人や他人の作品がヒントや参考になることはあっても、最終的には自らのなかから引っ張り出すしかありません。

 

口で話す、あるいは手で綴ることで言葉を武器や道具として、そして自分を守る術として、機能させる。

 

強い決意が込められていて、わたしは大森作品を読んだときに、それを強度として感じているように思います。

一首評「蜜」

花の蜜よりも木の蜜しづかにて眠れぬ夜の紅茶に垂らす

栗木京子『新しき過去』「小舟のごとし」P32

心配事でもあるのか、眠れない夜。たまにありますよね。温かい飲み物でも欲しくなって、紅茶を淹れたのでしょう。

 

紅茶に垂らすのは、蜂蜜。蜂蜜にもいろいろ種類があって、この歌では「花の蜜」と「木の蜜」の比較が面白い。

 

花の蜜というと、レンゲやラベンダーの花の蜜。木の蜜というと、ニセアカシア(ハリエンジュ)やオレンジ、リンゴの木からの採取かな。木に咲くタイプの花からの採取というか。

 

「花の蜜よりも木の蜜しづかにて」落ち着かない夜なので、より静かな方を選んでいるようです。

 

「木の蜜」のほうが穏やかで効果がありそう。ざわついた気持ちを安定させる術としての飲みもの。少量加える蜂蜜の選択にも、なんだか説得力があります。