今回取り上げるのは、小島なおさんの第三歌集『展開図』。
感覚の冴えた歌、注目すべき歌が多いです。
過去を見る自分の姿
全体を通して繰り返し描かれるのは、十代後半のころ、とりわけ高校生だったころの自分の姿であり、もう戻らない時間を懐かしみ、慈しむ感覚です。
体内に三十二個の夏があり十七個目がときおり光る P81
この歌に顕著なように、多感な十七歳のときの感覚が、いまもって自身の土台としてずっと存在していることが窺えます。
といっても、単なる甘い感傷や感慨に終わらないのは、長い年月のなかで的確に心情を言葉にやきつける術を磨いてきた蓄積があるからだろうと思います。
自分の内面の深い部分まで見つめ、言葉の形に掬ってくることは、容易ではない。
自分の感覚をある程度突き放しながら、同時に寂寥感やなつかしさを感じさせることに成功しているのです。
現在の小島なおさんの力量を十分に感じることができます。
私なら、以下の歌にそんな力量を感じます。
雪を踏むローファーの脚後ろから見ている自分を椿と気づく P33
傾いた傘の角度もきみだった柄を握る甲に雨が二粒 P122
「ローファー」を履いているのは、たぶん女子高生。他者の姿を見ているようでありながら、実は昔の自分の姿への回想ではないかな、と思う一首です。
かつての十代の自分の姿を、じっと後ろから見ている自分を「椿」であると気づくとき、もう戻れない過去への寂しさを含んだまなざしを獲得します。椿は赤い椿の方が、雪との色の対比が鮮やかだな、と感じます。
二首目は、雨のなかを誰かと一緒に歩いているときの歌。そばにいるひとのことを思い返すときに蘇ってくるのは、「傾いた傘の角度」であり、手の甲についた「雨が二粒」なのです。
細やかな部分への着目で、その場の空気や雰囲気が立ち上がってきます。
抒情のある気象の歌
『展開図』でとても印象的だった歌には、雨や雪など天候の歌が多かった印象があります。
特に好きな歌をあげると、以下のような歌があります。
思うひとなければ雪はこんなにも空のとおくを見せて降るんだ P16
地に触れていれば霧、いなければ雲 私は霧でそのひとは雲 P71
わたしになる前のあなたになる前のどちらでもない雪の風景 P112
かつてはいたはずの「思うひと」がいなくなったことで、自分のなかが広くなったのか、軽くなったのか。ある存在がなくなったことで、外の風景まで見え方が変わってしまうことがあります。
降ってくる雪を見上げるときに視界に入るのは、その向こうの空でもある。「空のとおくを」をすることで、「とおくの空を」をするよりも、ずっと奥行きを感じます。
二首目では、霧と雲の違いを言いつつ、実は自分と他者の違いの描写につなげていく。気象の知識からイメージへ、面白い展開です。「私」と「そのひと」の差を、霧や雲のイメージに重ねて読み、なんとなく納得してしまう。
三首目はすごく好きな歌。私は、降ってくる雪のさまを想像しました。空中の雪は、まだだれのものでもないような真新しいイメージです。
儚い雪の光景が、なんらかのイメージをかっちり持つ前の、混沌とした雰囲気。わたし、あなた、というはっきりした個にまだ分離できない感情と、かろやかに雪が舞うさまが結びついて、とても想像力の広がる歌です。
表面と内面・その差
さまざまな悩みや行き詰まりを感じるのはだれでもあるのですが、『展開図』のなかでは、詩的表現を使いつつ、ちょっと描きにくい部分を描き起こしています。
自己に対する考察や、心理を把握する歌も多く、迷いや葛藤を抱えながらもまなざしを持っている作者であることがうかがえます。
表情が傷ついてのちストローでクリーム掬う表情は他者 P136
階段の一段ずつの暮れやすさ心の外を見るむずかしさ P138
思うことと口に出すこといつからかこんなに遠い 十月の楡 P155
一首目は少し難しい歌。だれかと会話をしていて、なにかしら傷ついたのかもしれない。自身の表情が平気な振りをしているようでも、内面では傷ついたことがわかっている。
冷たいドリンクのクリームをストローで掬いながら、次第に傷ついた部分を割り切っていく様ではないかな、と私は解釈しました。「表情は他者」と言い切ることで、自分の表情なのに、他のものであるという割り切りに切り替えていく。
二首目は地味な歌ですが、目に留まりました。夕暮れのなかで階段が次第に暗さのなかに見えづらくなっていく。その一方で、「心の外を見るむずかしさ」が対になっておかれることで、立ち止まります。
心の中ならともかく「心の外」とは?だれか(自分自身かもしれないけど)の内面を見すぎて、あえてすこし視線を外す、ということでしょうか。
三首目は、日常でよく感じることを詠んだ歌ですが、結句ですこし飛躍を加えています。
内心で考えることと、口に出していいことの間には、だれでも差が生じてくるものです。思っているけど口に出さない/出せないことも多々あるので、どうしても差を感じるものです。
ふと気づけば、自分自身も考えと発言の間にかなりの差を持つようになってしまった。
結句で不意に登場するのは「十月の楡」。こんもりしたイメージのある楡の木。人間である以上、そんなにおおらかには生きられないこともあり、楡のふっくら感は対比でしょうか。
まとめ
最初はさらっと読めるけど、いざ読み解こうとするとけっこう難しい歌もあり、ちょっと立ち止まって考えてしまう。そんな歌も多かったです。
自分自身の姿(外見)や内面、過去の記憶を見続けることは、ときどきしんどいことです。それでも見つめ続ける意志を『展開図』には感じるのです。
どの歌もとても完成度が高く、着眼点や表現に確かな力があって、最後まで飽きずに読むことが出来た一冊です。