波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2018年7月号 3

塔新人賞は、近藤真啓さんが受賞されています。おめでとうございました。

 

エクセルのマスに打ち込む「供養碑」がいくつも並ぶさまを見ている      横田 竜巳     P114

仕事で遺跡などに関わっている人らしく、職場や仕事の歌の内容に特徴があります。

エクセルで一覧表でも作っているのか、打っている文字列が「供養碑」というかなり特殊な文字のせいで、ずらっと並ぶことになる。

現実の供養碑ではなく、エクセルの表のなかという点がなんとも乾いた感じ。

無機質な文字として、「供養碑」が並ぶさまはちょっと奇妙な感じもします。

作中主体もパソコンの画面を見ていて、ちょっと不気味な感じや不思議な感じを感じ取ったのかもしれない。

江ノ電に手を振る息子に振り返す匿名希望のたくさんのひと    竹田伊波礼   P130

江ノ電は速度が遅いらしく、手を振り合うゆとりのある光景がほほえましくイメージされます。子供にむかって手を振り返す大人もいるのでしょう。

この歌のなかでポイントになっているのは、「匿名希望のたくさんのひと」。

不特定多数の人にはちがいないし、作中主体は個々の人の名前を知らないのだけれど、「匿名希望」というのは相手がそう望んでいるみたい。

たった一人だけの息子と、背景にいる大勢の他人の対比があって、すこし離れた位置から見ている視点も感じます。

曇天のとおくに春の雷が鳴る誰か手を打てわたしは鬼だ *雷=らい  福西 直美    P138

目隠し鬼をイメージしたけれど、そうでなくてもいいかもしれない。

少し不吉な感じもする、春の雷。遠くに響く音から下の句への発想の展開が大胆。

下の句が大きな特徴で、手を打つことを呼びかけるのは、合図なのか。踊りかなにかの調子を取るためなのか。

呼びかけられている他者、鬼である私。他者とは違う私、という存在があるんだと思います。

すこし芝居がかっていて謎めいた歌ですが、下の句のセリフが厳かで、すごみがあります。

われにながき慚愧はあれどふりながら雪の透きゆくうつくしき窓    千村 久仁子  P144

雪の降りしきるさまを詠んだ歌が並んでいて、印象的な一連でした。

「慚愧」はもともと仏教用語で、自分の過ちを反省して、心に深く恥じること。長い期間にわたって心に残る悔いや恥があるらしい。

いくら心の中で恥じてみても、起こった出来事は変えられないし、いまさらどうにもできない。

その一方で、外は雪。どんどん降ってくるなかで、雪の美しさを味わっている。冷え冷えとしていながら、美しいのは冬ならではの景。

自分の内面と、外の世界の美しい様子を対比することで、かえって自分のなかのよどんだ部分がより濃く、深くなりそう。