塔7月号には塔短歌会賞や塔新人賞の発表が載っています。
塔短歌会賞は白水ま衣さん。
受賞作は完成度の高い作品でした。おめでとうございます。
否定語を使わずわれのあやまちを海を見ながら指摘するひと 白水ま衣 P29
過ちはだれが言うにしても、言いにくいものです。
言いにくいことを言って他人の欠点を指摘するときに、かなり言葉を選んで話す相手なのでしょう。優しいひとなのか、慎重な人なのか。
「否定語を使わず」そして「海を見ながら」なので、やんわりとした物言いや視線を遠くに向ける様子が伝わります。
言われている主体はどんな気持ちなんだろう。この相手に言われたら過ちを認めないと仕方ないな、と思っているのか。この相手にはそんなセリフ、言われたくなかったのか。
さりげない描写を積み重ねながら雰囲気を立ち上げている歌です。
逢ひたいと思ふほどではないけれどセロリのやうな雨が降つてる 佐近田榮懿子 P41
強烈に会いたい、というほどの気持ちはないと言いながら、でも気にはしているのでしょう。
だれか気にかかる人がいるときに、外では穏やかな雨が降っている。
「セロリのような」とは奇妙な比喩ですが、なんとなくイメージできます。
たくさんの筋があって長ぼそいセロリ。さあさあ、と静かな雨ではないかな、と思います。
聴覚・味覚・嗅覚、それぞれに独特な感触を持ったセロリだからこその一首だと思います。
すこし中途半端な気持ちを抱えて、雨の音を聞いているんだろう。
静かななかに持て余すような気持ちを感じます。
鬱の人に馘首を告げる日のあした錦木の若葉目の高さなり 関野 裕之 P112
同じ職場で鬱になった人がいるようで、解雇するのだろう。
馘首は言われる側はもちろんショックだが、告げる側も気が重いだろう。仕事なので、言わないと仕方ない立場なのでしょうけど。
気が重くなる日の朝の光景。錦木は、別名、剃刀の木。
枝に翼があることからきている名前らしいけど、この歌のなかで考えると、鋭い刃物のイメージが重なります。
「目の高さ」というのもポイントかな。鋭さが眼前に迫っているようで、痛ましさを伴う歌です。