コスモス短歌会の『COCOON』22号について。簡単にアップしておきます。
巻頭は、有川知津子さんの「ルドヴィカ」。タイトルの「ルドヴィカ」はショパンの姉。ショパンの死後、その心臓が入った壺をワルシャワへ持ち帰ったとされています。
音楽好きならすぐわかるエピソードなのかもしれないけど、私みたいに音楽の知識がない人にはちょっと味わいにくいかもしれません・・・。
古傷に秋来たりけりバスのボタン押したがる子のやうなふるきず
有川知津子「ルドヴィカ」P5
惹かれたのは、こんな何気ない一首。「バスのボタン押したがる子」って、そういえばバス通学のときにそんな子がいたな、と思い出します。
そんなどこにでもいた子どもみたいな感覚で、ある古い傷を感じている。あ、またこの古傷が痛むな、くらいの感じで深刻過ぎない。
たびたび感じるのだろう感覚に、面白い比喩で存在感を与えています。
ひとでなしゆゑにわたくしに生えそめし尾鰭胸鰭あればさびしゑ
*尾鰭胸鰭=をびれむなびれ
岩崎佑太「萩」P18
父親が亡くなったことが窺える一連。わりと淡々としていて、哀しみというよりも空虚さがあるのです。
親の死に涙を流さない自分に驚くといった歌もあり、自己を客観視している冷静さや、亀に笑われる自己といった戯画化もある。
父親の死に涙も流さない自分を「ひとでなし」と言っていると受け取りました。
金魚のような美しい尾鰭、胸鰭は目立つ特徴だけど、飾りものや見せかけとしてのものに過ぎないのかもしれない。
愛恋は苦しまぎれでいろはすの小さき水面に漣が立つ
小島なお「猫と馬」P37
恋愛の経験はあっても、結婚や出産となると話はまた別。一連を覆っているのは、その苦しさかもしれない。
「いろはす」というペットボトル入りの水の小さな水面。少し揺らしたのか、小さくても漣はできる。苦しさのあまり、という感情の極まった状態と、ごく限られた面積の水面。あくまで、その狭い面積から逃れられなさそう。
くねりつつ来る強面の芋虫は8ビートが好みなるべし *8=エイト
河合育子「こほろぎ」P52
ひとと虫、私と犬など、人と生き物が等価の世界。ゆったりしたおおらかな世界が魅力的な一連でした。
芋虫にも「強面」があるのか。動きがリズミカルなのか、その様子を「8ビート」という語で表現したのが面白い点です。
あたま喰われながら交尾をつづけてるカマキリの雄の動画で昼餉
大松達知「大人」P58
スマホで動画を見ながら昼食を取っているシーンだと思います。それにしても動画の内容がけっこう強烈。
生きる、つまり、なにかを食らうっていう面がありますが、この平然とした感覚がすっかり世慣れた感じ。
「大人」が身につけている平然とした部分とか小狡さなどを描く一連。サバサバした文体もあって、コミカル。必ずしも楽しくない面も含めての「大人」なのでしょう。
コンビニの五目おにぎり携へて山へススキの花を見にゆく
杉本なお「秋の蜂」P82
わざわざ山へススキを見に行くという。ススキの花ってけっこう地味な存在ですけど。遠足みたいな感じで、ちょっと歩きたかったのかもしれない。
秋の風景をちょっとずつ描きとめたような一連で、近景と遠景の切り替えやバランスが良いと思いました。