波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

塔2018年6月号 3

出町座って座席の座り心地とか、どうなんだろう。

そのうち、出町座で映画を見てみたいとは思っています。

北上のこけし木地屋の庭広くぜんまいの若芽筵に乾しいる *北上=きたかみ    岩﨑 雅子  P78

こけし木地屋はわからなかったので検索してみたのですが、

宮城県にある、こけしやこまを作っているお店ですかね。

訪れたところ、目に留まったのは庭と、そこに広げられた「ぜんまいの若芽」。

生活感がただよう感じの光景で、お店の人は毎年のようにぜんまいを取ったり、乾したりしているのでしょう。

たくさんの木地グッズなどがあるはずですが、そちらではなくてちょっと目に留まったシーンを詠んでいます。

その場所に暮らしている人にとってはなじみのある光景なのでしょう。

他所からきた主体にとっては、ちょっと興味をひかれる光景だったのかもしれない。

旅の歌で面白いのは、観光スポットを回ったような内容ではなくて、

案外、ちょっとした風物かもしれないですね。

いつ知らず庭に土筆が見えてをり気づけば隠れるやうなる暮らし   祐徳 美惠子   P90

こちらは土筆の歌。気づかないあいだに、

庭に土筆が生えていることに主体は気づいた。

生えていることに気づかない、ということは

あんまり庭に土筆が生えていると思っていなかったのか、

最近はあんまり庭を見ていなかったのか。

「隠れるやうなる暮らし」から考えると、

けっこうひっそりとした生活を送っているのかもしれない。

庭にちらっと見える土筆と、おだやかな暮らしをしている作中主体とは

けっこう似ているのかもしれない。

袋からとびだすセルリゆうぐれの坂ゆくわたしを立たせるみどり   中田 明子   P95

「セルリ」はセロリ。呼び名がちょっと違うみたい。

セルリの長ぼそいフォルムが、袋からにゅっと出ているのでしょう。

夕暮れどきを家まで帰りながらセルリの緑色が気になったのかもしれない。

坂をたぶん上っている、ととらえました。

上り坂だからちょっとつらいところ、セルリの緑色を見つつ、歩いていく。

「わたしを立たせるみどり」という点が印象的で、

セルリのすっとしたフォルムからの連想かもしれない。

夕暮れ時のなかを帰っていく「わたし」の姿を

すこし離れた視点からとらえている面もあり、自己の把握の仕方が興味深い。

「やまどり」とふ名前の猫が夢に来て抱いたらうちの「まるまる」だつた   山尾 春美  P105

・・・不思議な歌です。

夢のなかで猫を抱いたら、じつはうちで飼っている猫だった。

しかも名前が「やまどり」と「まるまる」って、なんだかおもしろい名前。

夢のなかはもちろん不可思議なことがいろいろ起こるので、

べつに理屈が通ってなくても構わない。

本当にこういう夢を見たのかもしれないし、見ていなくても、どっちでもいい。

混沌とした夢のなかの出来事を淡々と歌いつつ、ちょっとおもしろさがある歌です。

運ばれて仰向けに置かれ囲まれて春来ぬうちに肉になる熊    今井 由美子  P106

わたしには本で読んだ知識くらいしかないのですが、熊を狩るのは東北から北海道などで昔から行われてきたらしい。

いまではマタギの人数も減ったようですが。

今井さんの一連では、熊を狩る一連を詠んでいて、題材は興味深いです。

ただ、上の句の動詞の連続がちょっと気になってしまって、

わりと一般的な動詞を重ねていっただけで観念的。

どうも冬眠中の熊を仕留めたようで、

熊は春を迎えることなく、食肉として解体される。

「肉になる」とは解体されることで、

生き物だった熊から肉に変わることだと受け取りました。

熊を獲るという行為にはもともと儀式的な面があり、

儀式としての死の重みを作者はどう考えているのだろう。

そんなことも思う一連でした。