コスモス短歌会の同人誌「コクーン21号」からいくつか紹介します。ご紹介が少し遅くなって申し訳ないです。
毀すのはあなたを忘れないためと手はハンマーの把手を握る
分断に終わりなければ砂のその一粒になるまで砕かれる
胸像は草地に転び眼の奥へ続く廊下をゆく下半身 *転び=まろび
小島なお「Looking for」
「Looking for Lenin」という作品を踏まえつつ詠まれている連作なので、その内容を知っているほうがいいとは思うのですが・・・。私は知らないなぁ。
想像した限りでは、銅像をハンマーで破壊するシーンです。かつての指導者、権力者の像を破壊するといった行為を連作の形で編みなおしている感があります。
興味深いのは、壊す手や砕かれる像という実在の人物に似せて作られた疑似的身体の切り取り方。クローズアップのしかた。
特に3首目。「眼の奥へ続く廊下」をさらに「下半身」がゆくという。分断されてしまった身体がまだ動いている感があり、亡霊のようにも思えます。
ただ、全体として少し分かりにくいような・・・意欲作だと思うのですが。
切先で触れる切先 負けるとは死ぬことであるなんて嘘だろう
ふんわりと雲の形の変わりゆき 拳銃だねぇ拳銃だなぁ
松井竜也 「のたあん」
剣道の大会とおぼしき場から連作が始まります。竹刀の切先同士で触れて、「負けること」と「死ぬこと」の差があることを思い浮かべる。イコールではないふたつの概念。
大空にふんわりと浮かんでいる雲ののんびりした描写から一転、拳銃という武器の話へ。雲の形が拳銃に見えたのかな、と思うのですが、単にそれだけでもないのかもしれません。
恐らくは鬼も葬儀をするだろうきっと花と火持ち寄るだろう
島本ちひろ「夏景」
「蛍」「ひとがたの魂」など、日本の夏のお盆など、死者と親しい時期の家族の断片の一連と思いました。
日本の昔話などに出てくる鬼は乱暴なイメージですが、同時に鬼にも人間みたいな付き合いやしきたりがあり、葬儀に集うことにも想像が及びます。
持ち寄るのはシンプルに「花と火」。しばらくすると枯れたり、消えたりするやや儚いものの象徴かな、と思うのです。
四度目の緊急事態宣言下窓ふきつづけるゆふべありたり
岩崎祐太「歳月」
非常に端正な一連。自分自身や社会への冷静な見方があります。
幾度も出る緊急事態宣言。一方で自身は窓をふきつづける。日常のなんでもない掃除の動作です。
「窓ふきつづける」と同じ動作を継続していることで、どういう状況でも変わらない部分を思ってしまう。
死者を抱き、だきあやまりて夏の夜の夢にゴトリとのこりし響き
伊田史織「ひまはりの種子」
どなたか身近な人が亡くなったのか、死亡を知らされた歌の直後に、この歌があります。
「死者を抱き」とは遺骨を抱えるシーンかもしれないと思うのですが、「だきあやまりて」の部分が、なんだかまだ現実を受け入れられないぎこちなさのようです。
「ゴトリ」という音も、空虚さのなかでより大きく聞こえたのかもしれません。