ついに20号を迎えたコクーン。120頁超えで、大変読み応えのある仕上がりになっています。
できるだけいろんな歌を紹介したいと思います。
炎心をひとつ宿した〈とちおとめ〉春の愁ひの断面図となる
柴田佳美「うす雲」P4
日常のささいな物から生まれる歌に、いい歌が多かった印象があります。
苺の断面は炎のかたちに確かに似ていて、じっくり見るとなかなかおもしろい模様。
春は必ずしも楽しいことばかりではないので、ちょっとした憂鬱や哀しみを重ねてしまったのかもしれません。
私だけ茄子をなすびと呼ぶ家でよく晴れた日は布団など干す
島本ちひろ「十八光年」P10
小さな幼稚園での子供の成長を描きつつ、家族の姿をとらえています。
家族のなかのちょっとした差異。茄子をどう呼ぶか、なんていう小さな違いから家族といえど違うひと同士、という点を描いて面白い。
連作の途中、「過食嘔吐」の歌が一首だけ置かれていますが、だいぶ重い内容を一首で詠むのはすこし難しいかもしれません。(語りにくい内容とは思いますが)
瓶のなか塩は湿りぬ木の匙できのふひとさじ掬ひしままに
斎藤 美衣 「ひらがなで、君」P13
全体として落ち着いた雰囲気で、美しい一連。相聞と、日常のなかの寂しさとが交互に出てくる。
取り上げた歌では、調味料を掬ったあとの木の匙のかたちを残したままで、塩が湿っている。
昨日という過去の動作が、匙のかたちで可視化されています。ちょっとした物の歌ですが、「木の匙」「きのふひとさじ」といった近い音の繰り返しが面白い歌です。
ひびき合ふ言葉が連れてくる昭和〈べつかふ飴〉と〈月光仮面〉
河合育子「ハッカ飴」P36
言葉の組み合わせに発見や面白さがある一連です。
〈べつかふ飴〉と〈月光仮面〉、直接は関係ないはずですが、音が似ているからつい連想してしまったのか。ちょっと懐かしいテイストの味わいの飴と、かつてのヒーロー。
昭和が懐かしいとか昭和がまた消えた的な歌はたまに見たことがあるんですが、この歌の具体的なイメージの出し方は面白いと思います。
ドアノブの消えし扉をまたひとつ開きゆきたり羽根をかざして
有川知津子「よいといふのに」P40
連作の最初の一首。カードキーで開けるタイプのドアなら、もうドアノブそのものが不要です。触れるべきノブすらない平なドアを開くのは、「羽根」みたいなカードキー。
カードキーと言わずに「羽根」と表現した点に詩情があります。
戦後に引き揚げで帰国した祖母の思い出から、祖母の七回忌まで、間に他の歌をすこしはさみつつ、流れにのって読める一連です。
全体をじっくり読むことで良さがじわっと伝わる作品なので、ぜひ連作で読んでいただけるといいと思います。
ちり紙のやうな昼間の月一つ我ら宇宙にピン留めされる
礒川朋美「ピン留め」P72
メモなどをピンに挿して留める、という行いは、人間の側が行うものですが、この歌では「我ら」人間の側が宇宙という広大な空間内に留められる、という逆転の発想。
スケールの大きな歌で、日常の歌が並ぶ中にあるので、より印象が強まった歌です。
廃線はひと雨ごとに朽ちゆけりゑのころぐさの穂を弾ませて
杉本なお「春と蛙」P74
すでに廃線となった線路が、さらに雨によって廃れていく、終わってしまうさま。
その近くにはたくさんの狗尾草。ボリュームのある穂が弾んでいるさまには小さな動きの軽やかさがあって、廃線とは対照的。
鳥だけが鳥なんぢやない 蹴る地面、飛んでゐる空ごと鳥なんだ
片岡絢「コーヒーラバー」P79
この歌、なんとなく江戸雪さんっぽいような・・?
鳥という飛べる生き物の描写で、鳥だけでなくて、「蹴る地面」「飛んでゐる空ごと」鳥である、という断言そのものが力強く、迫力があります。
トースターの目盛りをぐつとひねるとき時間の無さがわが身を駆ける
水上芙季「しゆんりん」P95 「時間の無さ」に傍点
トースターの歌、面白いです。普段は残り時間を意識することはあまりないのですが、トースターの目盛りというはっきり見える物によって可視化されることで、ちょっと切迫感が出てきます。
ごく短い時間ですが、タイムリミットを意識することで、心理が変わるものです。
映えばかり求めるばかり牛ばかり撮る日も使うビューティープラス
早川晃央「うし」P110
牛の放牧地に行ったらしい一連。軽いノリと文体がマッチしているのか、サクサク読める一連です。
「ばかり」を3回使った歌では、牛しか撮らないような日でも、カメラアプリ「ビューティープラス」を使っている様子を詠んでいます。
アプリで写真の加工や補正が簡単にできるようになり、画面での映え(見た目)が重視されるようになってから、あらゆるものを抵抗なく加工してしまうようになりました。
いまの社会の様子を軽めの文体で詠んでいて、面白いけどちょっと考えてしまう要素もあるのです。