波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評「踏切」

拒みしか拒まれたるか夏の夜の踏切が遠く鳴りゐたりけり

真中朋久「リコリスの鉢」『エフライムの岸』P96

 

 

久しぶりに読んだ歌集から。

 

「拒みしか拒まれたるか」と、唐突な自問自答から始まります。何か依頼でもあったのか、そしてもっと大きな関係性まで考えることもできそうです。

 

果たして自分が拒んだのか、それとも自分が相手から拒まれたのか?

 

どちらとも言えるのかもしれません。結局のところ、話は物別れで終わったのでしょう。

 

聞こえるのは、夏の夜の遠くで響く踏切の音。近くで聞いているとけっこう大きな音ですが、遠くなら、また印象も違いそう。

 

踏切の繰り返しの音、付随したイメージとして出てくる赤い光の点滅。

 

なんともすっきりしない感情に、踏切のイメージが重なってきて、読んでいて立ち止まった歌です。


それゆゑにではなくそれにかかはらずでもなくきみと正対したし

真中朋久「太陽城」『エフライムの岸』P85

 

こちらもなんとなく気になった歌。「正対」は対象にまっすぐ向き合うこと。長いひらがなの後に出てくる「正対」というやや硬質な語が印象的。

 

「それ」が何であるかは、この一首だけではわかりませんが、前に置かれている歌を見ていると、「光復節」などの歌があるので、連作に出てきている方は韓国の方かな、と思います。

 

歴史など大きな話を、相手と関わる理由にするのでもなく、無関係というわけでもなく、相手と正面から向き合いたい。

 

かえって難しいとも思えるような態度ですが、率直さに惹かれる歌です。

   *

この歌集をはじめて読んだ頃がなんだか懐かしい。短歌がとても好きで、無心に好きな歌集を読んでいられたのですから。

 

最近、短歌を詠むことをすこし迷っていたのですが、結局、いろんな作品に接しながら試行錯誤を繰り返すしか無いのでしょう。