波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評「街」

だらしなく降る雪たちにマフラーを犯されながら街が好きです

阿波野巧也「ワールドイズファイン」『ビギナーズラック』P9 

 

街に関する歌が多い歌集でした。

 

全体的な語り口はとてもライトですが、ときどき、いい意味で引っかかる表現が入っています。

 

取り上げた歌なら、「犯されながら」。ちょっとびっくりする語ですが、雪がマフラーに落ち、さらに湿り気を与えるさまを暴力的な語を用いることで、日常生活の中の奇妙な部分が浮かんでくるのではないかな、と思いました。

 

この歌集の中の街は、直接は、作者が大学時代を過ごした京都なのですが、読者の中にある、いつも過ごしてきた街並みを思い出させてくれるのです。

 

街が好き、という素直な肯定はいびつな部分も含めつつ、の肯定だと思います。

 

一首評「こころ」

近づけば近づくほどに見えざらむこころといふは十月の雨

   本田一弘  『あらがね』「虎」

普通は距離をつめて近づくほどによく見えるはずなのだけど、近づくほどかえって見えないようになるだろう、とは逆説的だし、皮肉。

 

単なる物体なら、近寄るほどにはっきりと見えるけど、ひとの心となると、そう簡単にもいかないのでしょう。

 

結句の「十月の雨」は、しとしと降る秋の雨、といったイメージで受け取りました。

 

季節の変わり目に降る、冷たい雨。

 

そう簡単に理解や把握ができない、心というものの具体的イメージとして、美しいけどすこし寂しい感じ。

 

「虎」という連作のなかに収められていて、『山月記』を授業で扱う様子を描写しつつ、連作は進みます。

 

山月記』の虎になってしまった人間とその旧友の話を思いつつ、挙げた一首を読んでいると、さらに苦しみとか歯がゆさが増します。

 

『あらがね』も10月に読んでいた歌集の中の一冊です。とても重たくて、迫力のある一冊でした。

一首評「髪」

蜂の音ヘ振り向くあなたの長い髪、ひろがる、かるい畏怖みせながら

   千種創一 「連絡船は十時」『千夜曳獏』P54

近くで蜂の羽音がしたから、思わず振り向いてしまった相手を見ていて、その長い髪が広がる様に一瞬の美しさを見いだしているのでしょう。

 

実際には、ほんの一瞬の出来事なのですが、一首を読んでいる間は、スローモーションで再生したような、ゆっくりした動きを想像します。

 

「長い髪、ひろがる、かるい」と読点を用いつつ段階がある描写になっているので、ふわっとした髪の広がりを読む者にもイメージさせます。

 

振り向いた人は少し怯えていたのかもしれないけど、その表情や仕草に対して「畏怖」の語を与えることで、神々しさをも感じます。

 

一首評「箱」

秋の雨あがった空は箱のよう林檎が知らず知らず裂けゆく  

          江戸雪「吃音」『空白』P30

 

10月にはたくさん歌集を読もうと思っていて、そのなかで読み終えた一冊が『空白』です。

 

秋の空は夏の空より、ずっと高く見えます。秋の雨が上がった後には、箱のようだとこの一首では言います。

 

例えとしては、きっと空っぽの箱で、がらんとした空間が上空に広がっているように感じたのでしょう。

 

林檎の実に入る亀裂。この世のどこかで発生している傷があっても、自分はそれを知ることはないか、または気づくのが遅れてしまう。

 

『空白』のなかには、怒りとか混乱、失望や喪失といったネガティブなイメージが多く詰まっているように感じました。

 

ネガティブな感情やイメージを直視しつつ、どうやって乗り越えていくのか。

 

そんな模索にあふれた一冊ではないかな、と読み終えて思っています。

 

一首評「白」

白雲をおし上げてゐる白雲のかがやける白海をはなれつ 

  竹山広 「東京のこゑ」『一脚の椅子』 

 

季節は夏かな…と思っています。海上に浮かんでいる雲にも位置の上下があって、おしあげていた下の雲が、海を離れたばかり。といった景色を想像します。

 

白雲のボリューム感や厚み、それでも形を変えて動く変化、海との色の対比、一首の中の景色をできるだけ、想像してみる。

 

「白」を繰り返し使うことで、一首の中でだんだんとその白さが増してくるようです。

 

「かがやける白」なので、眩さも感じて美しく、気持ちのいい眺めです。

 

時々、視線を遠くへ向けてくれるような、絵画を見るような歌も気持ちのいいものです。

 

      *

この夏に読もうと決めていた書籍のひとつであった『竹山広全歌集』をやっと読み終わりました。分厚かった…。

 

読む前まで、戦争や原爆の歌が多いのかな…と思っていたのですが、ごく日常的な歌や、家族の歌も多かったです。

 

読んでいて少し迷うのは、幸いにも(今は)直接の戦争を知らない私に、どれくらい読み解けるのかな、ということ。

 

歴史の重さを背負ってしまった作品を読むときは、とりわけ、自身の知識や想像力の乏しさが気になるものです。