波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評「こころ」

近づけば近づくほどに見えざらむこころといふは十月の雨

   本田一弘  『あらがね』「虎」

普通は距離をつめて近づくほどによく見えるはずなのだけど、近づくほどかえって見えないようになるだろう、とは逆説的だし、皮肉。

 

単なる物体なら、近寄るほどにはっきりと見えるけど、ひとの心となると、そう簡単にもいかないのでしょう。

 

結句の「十月の雨」は、しとしと降る秋の雨、といったイメージで受け取りました。

 

季節の変わり目に降る、冷たい雨。

 

そう簡単に理解や把握ができない、心というものの具体的イメージとして、美しいけどすこし寂しい感じ。

 

「虎」という連作のなかに収められていて、『山月記』を授業で扱う様子を描写しつつ、連作は進みます。

 

山月記』の虎になってしまった人間とその旧友の話を思いつつ、挙げた一首を読んでいると、さらに苦しみとか歯がゆさが増します。

 

『あらがね』も10月に読んでいた歌集の中の一冊です。とても重たくて、迫力のある一冊でした。