波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評「風」

彼岸花あかく此岸に咲きゆくを風とは日々のほそき橋梁  

     内山晶太 「反芻」 『窓、その他』

ちょうどお彼岸の季節ですね。彼岸花の強い赤さは、私はけっこう好き。

 

この歌も彼岸のころの景ですが、彼岸は時期であると同時に、場所をも指しているのではないか、と思います。

 

彼岸花が咲き乱れているのは、あくまで自分がいる此岸。その一方で、対極の存在である、彼岸という「悟りにいたる状態」を示す語をどうしても想像します。

 

主体は此岸を生きています。ときおり吹く風が、たどり着くことはないだろう彼岸と、こちら側である此岸をわたっている。

 

例えばものが揺れる動きや葉などのざわめき、運ばれる匂いなど、確かに感じる風の存在に、具体的なイメージを与えています。

 

風という見えないけど感じる現象を「ほそき橋梁」としたことで、対極にある場がかろうじてつながる。とても儚い存在の橋が、うっすら見えるようです。

 

内山氏の短歌には、とても儚い感覚や日常のなかの一瞬の美しさが凝縮されています。

一首評「領地」

体育館の窓に雪呼ぶ雲ながれ視界は多く心の領地       P108

     小島なお 「心の領地」『展開図』

 

体育館の窓越しに、空に重そうな雲が見えてきたシーン。雪が降る予感を感じつつ、まだその瞬間は来ない。

 

上の句から下の句への展開がとても難しい一首でした。

 

眼で見ているものやコトが、どうしても心の中を占めてしまう。ひとの心は別に自由ではなくて、今いる世界で見るもの、在るものにどうしても支配される。

 

「領地」というやや硬い語の効果もあって、精神の大部分をなにかに支配されてしまう、その必然を考えてしまいます。どこか窮屈そうな雰囲気がある一首かもしれない。

 

『展開図』には難しい単語や言葉はあまりないのですが、この一首は本当に難しくて、なかなかうまく読み解けなかった歌です。

 

同じ作品でも、違うタイミングで見てみたら、また違う印象や解読になるかもしれません。

 

次にこの作品を読むのはいつかわからないけど、今の私の読みを記録として、ここに残しておきます。

一首評「鏡」

三面に淡い雨降る三面鏡傘さすひとを映すことなし

    小島なお「雨脚」『展開図』P57

三面鏡はたしか、実家のドレッサーで見たことがあったな・・・・。お化粧をする際に、三方向から確認できるので、色ムラがないか、仕上がりがきれいか、しっかり確認できます。

 

三面の鏡なので、当然ながら、それぞれの面に雨が映って見えます。しかも「淡い雨」なので、繊細な線のちらちら降るさまが映って、すこし幻想的かもしれません。

 

しかし、そのどの面にも、「傘さすひと」を映すことはなく、ただ雨が降るようすばかり。

 

室内で卓上またはドレッサーなどの上にあって、角度として外にいるひとが映るような角度にはないのかもしれません。

 

ただわざわざ「傘さすひと」と言っているので、室内から見ている、という点がより強調されて感じられます。

 

作中主体は室内にいて、鏡に外の雨が映っても、ひとを映すことがないので、隔絶されたひとりでいる状態を間接的に描写しているのではないか、と思いいたりました。

 

鏡に映る景色やものは、直接自分で見ている場合とはまたちがった趣きがあります。三面に映る外部の様子で、より強く外と、内側にいる自己の姿を認識するのです。

塔5月号を読みつつ考えたこと。

見えぬゆえの不安というはとめどなく駅にこころにマスク広がる

   松村正直  塔2020年5月号 P6

これは塔5月号に載っていた歌。街のなかで人々がみなマスクをつけだした頃の歌でしょう。

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