彼岸花あかく此岸に咲きゆくを風とは日々のほそき橋梁
内山晶太 「反芻」 『窓、その他』
ちょうどお彼岸の季節ですね。彼岸花の強い赤さは、私はけっこう好き。
この歌も彼岸のころの景ですが、彼岸は時期であると同時に、場所をも指しているのではないか、と思います。
彼岸花が咲き乱れているのは、あくまで自分がいる此岸。その一方で、対極の存在である、彼岸という「悟りにいたる状態」を示す語をどうしても想像します。
主体は此岸を生きています。ときおり吹く風が、たどり着くことはないだろう彼岸と、こちら側である此岸をわたっている。
例えばものが揺れる動きや葉などのざわめき、運ばれる匂いなど、確かに感じる風の存在に、具体的なイメージを与えています。
風という見えないけど感じる現象を「ほそき橋梁」としたことで、対極にある場がかろうじてつながる。とても儚い存在の橋が、うっすら見えるようです。
内山氏の短歌には、とても儚い感覚や日常のなかの一瞬の美しさが凝縮されています。