波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

塔2017年6月号 4

「何にでも名前を書く母でしたから靴の名前で見つかりました」  佐藤 涼子    131

東日本大震災にまつわる一連から。
遺体の身元が判明したのは
几帳面に靴にも名前を書いていたから。
まさかそんなことで役に立つとは
本人も家族も思っていなかったでしょう。
「」のなかに収めることで遺族の会話そのままのように
見せながら、その一方で
身元が分からない、そもそも遺体が見つからない、
そんなケースがあることもうかがわせる一首です。
佐藤さんの短歌も震災とは切り離せない印象がありますが
詠んでも詠まなくてもつらいだろう、
と今回の詠草で改めて思います。

雪やけの椿のつぼみ窓に見え夜ふけの電話とりとめもなし      朝井 一恵    131

「雪やけの椿」という描写が私にはなじみのないものでした。
雪の多いエリアに住んでいる作者には
窓の向こうに雪やけした植物が見えることがあるのでしょう。
たぶん親しい人と深夜に電話でやり取りしている様子と
厳しい気候のなかにある植物の対比を思って
気になる一首でした。
椿の色づいていく赤さや、夜更けの闇の深さが
静かで印象的な描写でした。

旅という一枚の絵の中にいて可愛く思う別府のぷの音      小松 岬      135

「旅という一枚の絵」というとらえ方や
「別府のぷの音」という注目がかわいい視点だと思います。
詠草を見ていると、どうもお子さんが暮らす街かな、と思うのですが
主体にとってはまったくなじみのない土地。
地名のなかのひとつの音、という着目で
主体とその土地とのつながりができたのではないかな、
と思ってしまいます。

野良猫が片足上ぐるによき高さ春のキャベツは大きく開く    長谷川 愛子     138

春のキャベツはやわらかくて、ふんわりした葉になっています。
立派に育ったキャベツの高さを
「野良猫が片足上ぐるによき高さ」とは
とても面白い表現です。
普段から周りの生きものをよく見ている感じが出ています。

鍬おとすごとに真白き根の見えてこの畑なべて十薬の園     丸山 真理子    142

十薬はドクダミのこと。
ドクダミの花ではなくて、「真白き根」を詠んでいる点に注目しました。
ドクダミの繁殖力ってけっこうすごいらしくて
地下茎を張り巡らせている植物ですよね。
この一首、畑にドクダミが繁殖して
取り除こうとしているシーンかな、と思うのです。
鍬を何回も落として、そのたびに目に入る根の白さ。
ドクダミが畑全体に広がった憎たらしいはずの状態を、
「十薬の園」とわざわざ美しく表現している点で
歌という作品にしようとする意図を感じます。

まちがえて生えた羽みたいな冬のカバンをしょって人を待つひと    吉岡 昌俊    157

カバンのことを「まちがえて生えた羽みたい」ということは
冬のたっぷりしたコートにはいまひとつ合っていないカバンなのかな、
なんだか不似合いな感じの恰好になっているのかもしれない、と想像しました。
そしてその恰好で誰かを待っている、というのです。
「人を待つひと」という結句がとても気になって、
表情や仕草から誰かを待っている様子に主体は気づいたのでしょう。
なんだかちょっと異質なものを見てしまった感があります。

幾枚のうすきみどりの付箋立て本は疎林をうちがわにもつ     中田 明子     168

淡い黄緑色の付箋を貼っていくことで
本の中に自分だけのポイントを作ることができます。
木がまばらに生えた林である「疎林」とすることで
読んできた時間や気持ちが
目に見える状態になるのでしょう。
「うちがわにもつ」という語がささやかだけど
本というひとつの別世界の存在を示しています。

日だまりを海としその身横たふる犬よ大陸のごとき呼吸よ     濱松 哲朗      169

日だまりのなかでゆったり過ごす犬を詠みながら
海と大陸というスケールの大きなイメージを取り込んでいて
想像に厚みがあります。
「犬よ/大陸の」という四句目の句割れで一度切って
そのあと結句に流れ込みます。
2回呼びかけることで深々とした
雰囲気が備わっています。

やがてまた雪を降らさむ沖の雲あふみのうみの青に触れたる     篠野 京   172

沖、雲、空の様子と全体の景色をのびやかに描ける一首です。
「あふみのうみ」がとても滑らかで
上の句から下の句を柔らかくつないでいます。
雪を降らすだろう雲の色合いや様子が
詩的に描かれています。