さて、前回の記事を書いてすっきりした部分もあるので、リハビリ(?)がてら、塔11月号の月集の評をあげてみましょう。
続きを読む短歌結社「塔」に入会して4年過ぎたのでちょっと振り返ってみた
塔という短歌結社に入ってすでに4年が過ぎました。節目(?)に振り返っておくのもいいだろう、と思い書いておきます。
塔に対する感想をざっくりとまとめると次のようになります。
- 結社の選者は優秀な方たちだけど、思いのほかフレンドリーで話しやすい
- びっくりするくらい上手い人たちがいる!!
- 尊敬している歌人とイベントや歌会で本当に会える!
- 上手い人とそうでない人の差は予想以上に大きい・・・
- 合わない人たちとは適当に距離を取るべし
- 自分の目標を決めて、そのために結社という場をいい意味で利用するといい
こんな感じです。
これから短歌結社に入ろうかな、でもいまいちよくわからないしな・・・という人には今回の記事は参考になるかもしれません。
続きを読む一首評「椿」
傷つけたことよりずっとゆるされていたことつらく椿は立てり
江戸雪「空に出会う日 二〇〇二年初秋」『Door』
久しぶりに江戸さんの昔の歌集を読んでいました。
塔に入る前に江戸さんの歌集もいろいろ読んでいたはずですが、今読んだほうが、なんとなく分かるような気もします(?)
日付と詞書のはいった連作から。
この歌の感覚、わかるな、と思います。
自分のいたらなさで相手を傷つけたことよりも、すでに許されていたことのほうが、ずっとずっとつらくて恥ずかしい。
申し訳ないような、恥じ入るような、なんとも居心地の悪い感じがするのです。
「ずっとゆるされていた」なので、かつて相手を傷つけた日からそれなりの日数が経過しているのでしょう。その間、ずっと傷つけていただろうけど、同時に許されていた。
相手の心の広さとか、自分のふがいなさとか、一気に感じてしまって引き受けるのがつらい。
「ことよりずっと」「いたことつらく」の音感の良さ。
句またがり気味の3~4句も、不思議なリズムを作っていて、ともすれば散文的になりそうな言葉遣いでありながら、短歌ならではの気持ちいい一首になっています。
すっと立っている「椿」は赤い椿だと感じました。
ぱっと灯るような赤さで、同時になんだか傷の生々しさを思わせる。
「立てり」という締めくくりが印象的で、つらくても居心地が悪くても、それでもすっと立っている。結句のひきしまった感じで、凛とした一首になりました。
一首評 「秋」
朝の陽に洗われて立つマヌカンの裸身の裡なる闇にも秋は
澤辺 元一「秋」 『晩夏行』
塔の選者であった澤辺さんが亡くなったのは、今年の2月。
「塔」9月号には気持ちのこもった追悼特集が組まれていました。
それがきっかけで『晩夏行』を手に取ってみました。
挽歌が多い歌集ですが、季節や景色を詠んだ歌にも印象深いものがあります。
この一首では、店頭でまだ衣類を着ていないマヌカンを見かけたのでしょう。
「マヌカン」のほうが音の響きのせいか、マネキンよりも優雅でまろやかな感じ。
朝の陽の光だから、「洗われて」というすがすがしい言葉が生きてくる。
衣類をまとっていないマヌカンのつるんとした質感を思いうかべて読んでいくと、「裸身の裡なる闇」へと思考が及ぶ。
なかなか見ることはないだろう、マヌカンの内側の黒々とした闇の部分にもやってくる秋。
爽やかな秋の朝の陽からはじまって、一転、しずかな物体の内側の闇へ。
くるっと視点を変えることで、秋の断片を切りとっています。