波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属。 ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

塔2018年11月号

さて、前回の記事を書いてすっきりした部分もあるので、リハビリ(?)がてら、塔11月号の月集の評をあげてみましょう。

笹の葉に短冊軽し片思ひなれば終はりは自分で決める          栗木 京子    P5

七夕の飾りを見かけたのかもしれない。

笹の葉にたくさんつけられた短冊。ひとつひとつに願いが書かれており、なかには恋の願いもあるのでしょう。

片思いは自分の一方的な感情なので、終わりにすべきときは自分で決めないといけない。「終はりは自分で決める」という断言が心地よいくらいです。

「軽し」という形容詞が印象的で、単にひらひらとした短冊というだけでなく、願いの儚さも感じるのです。

夏半分過ぎればふいに現れて喪服売り場とそれを売る人         前田 康子    P5

デパートの喪服売り場かな、と思います。外はまだ暑くても、急に登場する喪服売り場。黒い喪服がずらりと並んでいて、まだまだ暑いのに、なんだか奇妙な感じ。

この一首で面白いのは、「それを売る人」まで詠んだこと。

店舗なので販売員がいるのは当然なのだけど、売り場とそこで接客する人まで詠んだことで異質な空間がより立ちあがってくる感じがします。

「夏」が次第に過ぎて後半になるという時間的な推移と、デパートの通路を通って「喪服売り場とそれを売る人」に出会う、という空間的な推移とが、一首の中で重ね合わされることで、不思議な感覚が生まれています。

一歩間違ったら私もそうなってたかもしれないと話するひとのむしろ得意げ

どんなに間違えたところであなたはそうなってなかったろうと思うはげしく 

  松村 正直     P6

この2首は並んで掲載されていました。

なんの話題をしていたときかはわからないけど、相手がいう「私もそうなっていたかも・・・」という仮定に対して、否定的な感覚を持っている作中主体。

口では「一歩間違ったら私もそうなってたかもしれない」と言いながら、内心ではそう思っていないであろうことが、表情からうかがえる。ま、内心って表情にどうしても出ますからね。

相手の「得意げ」という表情から、「私はあんなふうにはならないよ」って思っていることが伺えます。

あるいは、「(そうなっていたかどうかはわからないけど)そこまで考える自分を得意に思っている」という感情が出ているのかもしれない。

どちらにせよ、口で言っていることとはマッチしていない。

次の一首でさらに踏み込んで詠んでいます。

作中主体は、会話の相手がどう転んでも、仮定の話のようにはならなかったろう、と分かっている。

とりわけ注目したのは結句です。「はげしく思う」ではなくて「思うはげしく」と倒置にしたことでより気持ちの強さが強調されています。

2首そろって、上の句にかなりの字余りです。上の句にボリュームが出過ぎることは充分わかったうえで、会話のなかで感じている違和感を歌の中に定着させています。

瀟湘夜雨 ゲラを読み続ける日々の心は先の湖畔で待つよ       澤村 斉美     P12

「瀟湘夜雨」という有名な絵画があるみたいですね。いくつか情報を探してみたら、物寂しく降る夜の雨を描いていて、ぼんやりしたおぼろげな雰囲気があります。

初句にこの作品名を持ってきたことで、柔らかい音と、どこか別の場所への希求があるように思います。

作中主体は仕事でゲラを延々と読んでいる日々のなかにありながら、その心が向かうのは「先の湖畔」。忙しいなかに、どこか別の世界を持っているようです。

最後の「待つよ」という相手への呼びかけが魅力的です。

瀟湘という場所が、風光明媚なだけでなく、桃源郷の伝説をも生んだことを考えると、はるかな場所への希求がより美しいものに思えるのです。

つかのまの薄暑のときを懐かしみ列車の継ぎ目つぎめに目覚む      山下 泉     P17

薄暑は初夏のころのわずかに感じる暑さ。その程度の暑さなら、まだ過ごしやすい。

本当につかの間でしかない薄暑のころを懐かしみながら、列車に乗っている。

眠気でうとうとしているのか、ときおり目が覚める。

「列車の継ぎ目つぎめに」というのは、すこし迷ったけど、列車の振動や速度が変わるタイミングのことかな・・・。「継ぎ目つぎめ」というリフレインがときおりくる目覚めや、列車が揺れる動きを思わせます。

眠りと目覚めが交互にやってくるのも意識の「継ぎ目」であることを考えると、列車の動きや揺れと結びついていて、不思議な説得力があります。

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