波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評 「あねもね」

抱かれず なにも抱かずねむりたり半島にあねもねの咲く夢

抱かれず=いだかれず       江戸 雪 『百合オイル』

 

ひとりで静かにねむる夜。

初句のあとにあえて一字空けていることで

断絶した感覚を感じます。

見ている夢の場所が

「半島」という大陸から飛び出すような形の

場所であることが象徴的です。

なにか異質な場所のようで、

かと言って大陸と離れているわけでもない。

「あねもね」の字の柔らかさが

夢のぼんやりした感覚と合っています。

一首評 「間」

雨降れば雨の間に立つ花あざみ祖母の死後濃くなりしふるさと      *間=ま

                 吉川 宏志 『海雨』 

 

降っている雨のすじにも間があって、

その間に存在している花あざみ、という描きかたに惹かれます。

ふだんなにげなく見ている光景を

あらためて言葉で描写して

定着させていく把握のちからを感じます。

 

祖母がすでにいなくなって、そののちさらに濃くなる故郷。

故郷に帰ることができる機会は限られているはずなのに

なお色濃く感じる不思議。

「花あざみ」というツンツンとしたフォルムと

鮮やかな色を持つ花の存在感で

「濃くなりしふるさと」に視覚的なイメージを与えています。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

いぬ年なので、犬の歌をあれこれ考えてみました。

そのうちの一首をアップしてみます。

犬は昔、飼っていたけど

もうすっかり時間が経ってしまって懐かしい記憶になってしまった。

私は今年もマイペースに進みたいです。

 

ふはふはとじやれあつてゐた日を束ねおまへを冬の庭に走らす   小田桐 夕

 

 

 

2017年の振り返り

さて、なんとか12月中に「塔」の選、評をアップできて自分で満足していますー。 

 

2017年の振り返りをさらっとしておきます。

 

よかったこと

「塔」のなかからいいと思った歌を抜粋して、ブログで毎回、紹介してきました。

 

正直、最初の1、2回で終わるかと思っていましたが・・・。なんとか続けてきました。

 

よく頑張った!

 

自分の判断でいいと思った歌を選んで評を書くのは「なんとなくいいな」からできるだけ納得できる言葉にしていくプロセスになりますね。

 

読みのトレーニングとしてけっこういいと思います。 

 

あとはブログを延々と続けてきたことで、歌人の方や「塔」会員の方に覚えてもらうきっかけになりました。

 

「風のおとうと」の歌集評を書くチャンスにもつながったみたいなので、コツコツやっておくものですね。

 

残念だったこと

「塔」の感想に追われがちで、取り上げたかった歌集や評論をなかなか取り上げることが難しかったです。

 

来年はもう少し、いろんな歌集も取り上げたい・・・・。

 

歌会について

歌会はいくつか顔を出してみました。

 

  • e歌会⇒たしか5月くらいまで参加していました。
  • 京都平日歌会⇒1回だけ行ってみました。こじんまりした人数なので、初心者にもいきやすい雰囲気。
  • 旧月歌会⇒思ったより多い回数を参加していました。

 

歌会は参加メンバーや選や評の仕方によって雰囲気の合う、合わないもあるので自分に合ったところが見つかったら、そこをメインにして他にもちょこちょこ行ってみるといいですね。

 

私は熱心に歌会に行くタイプではありません。1年続けて参加してみて、上手くなりたい人にとっては、鍛錬のための一つの場所として歌会は有意義なんだろう、とは思います。

 

ただ、歌会に参加しているだけで歌がうまくなるわけでもないっていうのもよくわかります。

 

むしろ歌会に参加していないときでもどれだけ本人がいろんな作品に触れているのか、読んでいるのか、そんな地の部分がなんとなく見えてしまう場だと思います。

 

私には「もっと短歌、うまくなりたい」と思って結社に入った初心があります。その初心を大事にしていきたいし、大事にしてくれる場所に行きたいですね。

 

2017年は短歌については得るものの多い1年でした。

 

今年もこのブログを読んでくださって、ありがとうございました。

塔2017年12月号 5

はかなごと繰り返しつつ来し生のリンスインシャンプーのごはごは    山下 好美   P191

上の句で今までの人生の様子、

下の句で日常生活の中で使うアイテムの話につなげています。

「ごはごは」はリンスインシャンプーで洗った後の

髪の質感だと思うのですが、

今までの人生のあり様を思わせます。

ごわついた髪の質感のような人生であるのかもしれないけど

軽めに詠んでいて、おもしろい雰囲気があります。

いつも食べ残すパセリが今日はないことをかなしむごとき純真     神山 倶生   P192

全てが結句の「純真」にかかっていく比喩になっていて

私はこういう長めの比喩もあってもいいと思っています。

(私が同じような方法を使って「長すぎる」って批判されたことがあるんだよ)

サンドイッチ等のかたすみに添えられることがあるパセリ、

いつもはあるのに、今日はないんだ、とちょっと寂しい。

小さな欠落に気づく感覚、それを気にする感覚。

日常の一コマを比喩にして内面の繊細さを詠んでいるので、

ちょっとした可笑しさも含んでいます。

心臓と小指は遠く繋がってぎゅっとされたらぎゅっとなります   中森 舞  P195

下の句の表現が面白いな、と思います。

小指をふくめ、手をぎゅっと握られたのだろう。

そのときの緊張を

「ぎゅっとされたらぎゅっとなります」としている点が面白い。

下の句に省略がありながら、シーンやそのときの気持ちが

しっかりつたわる歌になっています。

雨の日に猫の後頭部を嗅げば湿り気を帯びた我が家の匂ひす   三好 くに子  P198

一緒に暮らしてきた飼い猫、

猫の後頭部の匂いをかいだはずなんだけど、

それは同時に「湿り気を帯びた我が家の匂ひ」でもある。

飼っているペットがもうすっかり我が家になじんでいることや

それまでの時間の経過を思わせます。