波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評「葦」

葦原の葦に雨ふる夕暮れをうつくしいと思ふだらうよごれても

澤村斉美『galley』「葦に雨ふる」P162

「葦原」「葦」「雨」のア音、「夕暮れ」「うつくしい」のウ音が、なめらかなつながりを生んでいます。

 

「葦原の葦に雨ふる夕暮れ」たしかにきれいな光景だろうと思いながら、読んでいきます。結句までくると「よごれても」という言葉が登場します。

 

上の句が定型でなめらかであるのに、下の句では、破調。

 

個人差があるはずですが、私なら、読むときには「うつくしいとおもうだろう/よごれても」と、12音で少し止めてから、最後の5音を読みます。

 

この歌は、「葦に雨ふる」という一連の中にあり、タイトルになった一首です。内容は2011年の東日本大震災のあと、節電が始まった頃のこと。

 

雨という天候にも、原発放射能を気にせざるを得ない。「よごれても」は、とても重たい五文字なのです。

 

震災の前と後で、違ってしまったことの数々。それでも、雨の光景を「うつくしいと思ふだらう」。やはり、そう思ってしまうだろう。

 

災害のような大きな出来事のあとにも、日々の暮らしは続きます。簡単に終われないそれぞれの「生きる」があるから、美しいという気持ちも続きます。