波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年6月号 1

2週間くらいほったらかしにしていたな・・・・。
本は読んでいたのに。
「塔」も今年の半分が届きました。

 

庭土にソラ豆の芽の並びをりよく笑ふ子の乳歯のごとく     栗木 京子     2 

とても素朴な歌でいいな、と思いました。
「ソラ豆」というカタカナ混じりの言い方がなんとなく
たどたどしい感じです。
小さな子供の乳歯、とても具体的で素朴なたとえが
生きている歌です。

へいわのいしずゑといふ言説のひとばしらのごときひびきをあやしむわれは   真中 朋久    3 

普通はひらがなの多い歌は、ふんわり柔らかい印象になることが多いのに
なんだろう、この不気味さは・・・っていう感じの歌です。
犠牲になった人をときおり
「へいわのいしずゑ」という言い方をすることがあります。
でもその中に、「ひとばしらのごときひびき」を見出して
警戒や疑いの念を抱いている。
88677という形で上の句がとても大幅な字余りになっています。
ぬるぬるとした不気味な雰囲気が全体から出ていて
思わず目を留めてしまう歌です。

 もどらないボートのようにバゲットがパン屋にありて夕闇は来つ        江戸 雪  3

パン屋に並んでいる細長くて硬いバゲット
「もどらないボート」に例えることで
街角の見慣れた風景にもうひとつ別の世界が立ち上がります。
「夕闇」が迫る時間帯だからこそ
「もどらない」という哀愁や切羽詰まった感じに合っています。

 生卵六つ冷えゆくそれぞれにひつたりと春の指紋をつけて     梶原 さい子      7

冷蔵庫に並んでいる卵が6つ、ひんやりと冷えていく。
冷蔵庫に移すときについた主体の指紋だと思うのですが
「春の指紋」としたことで
とても儚い印象を背負っています。

乳がんの痛み知るゆえ遺族らが胸元避けて入れる花々      貞包 雅文     9

これは痛ましい歌。
通常のように顔周りまでしっかりと花で埋めていくのではなく、
あえて胸元を避けて花を並べる行為にも
亡くなった方をしのぶ遺族の心理がよく出ています。
初句、二句がやや説明的な感じはしますが
とてもいい視点だと思います。

夕映えのジムの硝子に映りゐる無数の脚が湖へと駆ける       辻井 昌彦         11 (「辻」の字で代用しています)

 ジムってガラス張りになっていることが多いようで、
近くを通るとトレーニングしている様子が見えることがあります。
主体もたぶんジムの近くを通ってトレーニングしている人たちの
たくさんの脚が同じ方向に向かって動く様子を見たのでしょう。
レーニング中の人たちに、「湖へと駆ける」という意思はないけど
主体の目という観察を通して、
ジムの風景にドラマをもたらしています。

一首評 「栞」

卓上の本を夜更けに読みはじめ妻の挾みし栞を越えつ       
         吉川 宏志 『夜光』 

 

吉川宏志氏の名前を記憶した歌といえば
たしかこの一首だったと思います。
何年も前、まだひとりで短歌を詠んでいるときに
大型書店で立ち読みした短歌関係の雑誌の中にありました。
特集内容や本文そのものは忘れているけど、
引用されていたこの短歌は覚えています。
静かな世界だけど存在感のある歌、という印象でした。

夜遅くに卓上に置かれていた本を読みはじめ
けっこう読み進んで妻が挟んだ栞を越えてしまった。
内容はささやかだけどやはり巧みな歌だと思います。

同じ空間に住んでいる身近な相手だけど
他者である「妻」が挟んでいた栞を越える。
一冊の本を介して
作者と他者の関わりがなんとなく見える気がするのです。
「越えつ」という強い響きをもつ完了の助動詞で
締めくくることで、引き締まった感があります。

塔2017年5月号 5

モアイ像のすすり泣くがに稀勢の里壁に向かひて肩を震はす    坪井 睦彦   168

たぶんテレビ画像を見て詠んでいると思うのですが、
「モアイ像のすすり泣くがに」という比喩によって
映像をそのまま写したような歌にならずに仕上がっています。
「モアイ像」という意外な物体をもってきたユーモアがいいですね。
画面からは表情が見えないだろう稀勢の里の心情を表現しています。

寒の日のオリーヴオイル黄濁し手には負へないをみなみたいだ     山下 好美      168

寒くなると、オイルの壜の底の方に
黄色い沈殿物ができることがあります。
なんだかどろっとした沈殿物は
オイルのいつもとは違う様子として奇異な感じ。
その様子を「手には負へないをみな」に例えています。
気ままなのか、怒りっぽいのか、頑固なのか、
やっかいな女性のタイプをあれこれ考えてしまいます。

トチノキの芽のふくよかなふくらみに春立ちてなほ遠き春思ふ   千葉 優作  *思ふ=もふ 177

トチノキの芽はふっくらしていて
美しい柔らかい緑色の芽を見せてくれます。
上の句のたっぷりとしたひらがなのやわらかい印象で
春らしい雰囲気も出ています。
主体は春を感じているけど、
「なほ遠き春」に思いをはせています。
まだ春のほんのはじめを切りとっていて
みずみずしい一首です。

オリオンの三つ並んだ星たちの距離と思えり三姉妹とは    魚谷 真梨子         177

オリオン座の有名な三つの星。
三姉妹の関係や距離感を
オリオン座の星に喩えている点が面白い発想です。
等間隔に並ぶ三ツ星、
適度な距離を取れるようになった三姉妹を表すには
ぴったりの表現なのかもしれないですね。
倒置して、結句で「三姉妹とは」と明かす方法も
効果的な工夫だと思います。

塔2017年5月号 4

おだやかに春につひえる愛憎に名前をつけておけば良かつた      濱松 哲朗    98

「春」に終わっていくのは、たぶん春が別れの季節でもあるためだと思います。
愛情ではなく、「愛憎」という点がいいと思います。
たしかに激しい感情であったはずなのに、
名前さえ与えられなかったものなので
後になればなんであったかすら、よくわからない。
終わっていく感情をすこし離れて見ているような歌です。

冬晴れに一羽の鷺が悠然と中空翔けて雪国展く       矢野 正二郎    102

結句の「展く」という語がとても気にいった一首です。
「鷺」の色と「雪国」のイメージも美しい。
一羽の鷺の動きに、「雪国展く」という壮大な役割を持たせていて
雄大な一首になっています。

歌になるきれいなやまいそんなものあるはずなくて雛菊植える    今井 眞知子   117

「きれいなやまい」そんなものは確かにないのでしょう。
歌になるかどうかつい考えてしまうのは
作品を生み出すものの業なのだろう、と思います。
やまい」とひらがなで表記していることで
初句と結句以外はすべてひらがなになっています。
じっくり目で追いながら、内容をかみしめるように読みました。
「雛菊」というとても可憐な花を植える動作で終わる点も
印象的で、ささやかな行為によって支えられる生を思います。

冬の陽をかへすトングでウェイターがパンの一片載せてゆきたり     高野 岬         *一片=いつぺん  134

(作者名の「高野」は常用漢字で代用しています。)
「冬の陽をかへす」という描写がとてもいいと思います。
よく見ておかないと見逃しそうな一瞬ですが
トングの鋭い印象のツヤがよく伝わります。
慣れた動作でしずかに選ばれ、運ばれていく「パンの一片」。
毎日繰り返されているだろう所作の
ほんの断片を切りとっていて、
さりげないけど印象深い一首になっています。

ふり向いたきみを待たせて深呼吸どの窓もどの窓もゆふやけ    岡本 伸香      154

「ふり向いたきみ」がいるのだけど、あえて深呼吸。
気持ちを落ち着けたいのか、気持ちを切り替えたいのか。
三句目におかれた「深呼吸」という漢字の重量で
すこし歌が引き締まっていると思います。
下の句がよくて、夕焼けの色がどの窓にも映っている様子が広がります。
夕焼けそのもの以上に、その色に染まっている窓の多さに
夕ぐれという時間の特異さがあります。

 

塔2017年5月号 3

正しさを愛する者らのつめたさの もう捨てましょう出涸らしのお茶   小川 ちとせ    72 

正しさは強いけれど、ときとして冷たい。
正しいことを言っている人たちは意見が違うものに対して、ときとして冷たい。
っていうことを主体はたぶん、わかっているのでしょう。
一字空けて下の句で「出涸らしのお茶」を
捨てようとする描写に移ることで
あきらめのようなものを感じます。
すっかり味の抜けてしまった「出涸らしのお茶」は
正しさと対峙してきてすっかりくたびれてしまった、
という気持ちなのかもしれないと思います。 

とんかつの店に配達されておりビニール袋に四つのレモン      杉山 太郎      73

街角のちょっとした光景をとらえた一首です。
レモンへの注目がいいと思います。
レモンはとんかつに添えられる脇役なのだけど
欠かせない食材。
「四つ」という微妙な数がよくて
ビニール袋にうっすらレモンの色が
透けている様子が目に浮かびます。

赤い実のゆゑに活けられし南天が捨てられてゐていよいよ赤い     高橋 ひろ子     90

南天はその赤い実のために目立つし、また親しまれる植物です。
「赤い実のゆゑに活けられし南天」が役目が終わって
捨てられていると、その赤さゆえにまた目立ってしまいます。
捨てられているときのほうが「いよいよ赤い」とは
なんだか皮肉で、悲しみも漂います。

好きだった理由を言えば言うほどに 愛は理由がないという窓      田宮 智美     96

今月の一連を見ていると、だれかに内面を吐露している様子です。
昔好きだった人のことも話していたのでしょう。
「好きだった理由」を言えば言うほど
愛とは違っていた、という現実に気づいたのかもしれない。
静かな歌ですが、過ぎ去った感情への悲しみがあります。
「窓」という結句もよくて
内と外を見えながら隔てている窓のイメージによって
「愛」という抽象的な概念に
ひとつの形を与えています。

はるかなる砂丘の馬の背のような塩はガラスの壺にかがやく    中田 明子        97

ガラスの透明な壺の内側に貼りつく塩の様子から
砂丘の馬の背」にまで飛躍するイメージがとても美しい。
塩はけっこうたくさん壺の内側に
貼りついているんじゃないかな、と思います。
ざらっとした塩のきらめきが
馬の背のツヤを思わせたのでしょうか。
日常に見かけるアイテムから
まだ見たことがないような光景への飛躍、
一首のなかに美しく収められています。