波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年5月号 2

陽をあびてしまいにはずり落ちてゆく雪そのものの白い激しさ     荻原 伸   28

屋根に残っていた雪でしょうけど、
けっこうな量だったのでしょう。
どさっと落ちていくときの雪の重みに注目しています。
降っているときの軽やかさとは全く違う状態を
あえて意識してみている点がいいと思います。
「白い激しさ」という点に妙に納得しながら読みました。

隣席に「踏め」と小さき声のせり基督に足触るるまでの間     西川 啓子     33

映画「沈黙」を観に行かれたのでしょう。
人間の精神にすさまじい負担をかける踏み絵。
結局、踏まざるを得ない瞬間のその直前に
隣席から聞こえてきた声を主体は描き止めています。
隣席の人も、たぶん思わず言ってしまったのでしょう。
映画館の中なので、隣席の人の表情までは見えなかったかもしれない。
全く知らない他人による一言かもしれない。
でも思わず言ってしまった一言に
主体もどこかで共感してしまうから、こうやって
一首に残ったのではないかな、と思うのです。

「わたし勝つたわ」と友逝くたびに言ふ人を何故か嫌ひになれないでゐる    広瀬 明子   38

友人がなくなったときに
「わたし勝ったわ」という人がいる。
人の生き死にのタイミングなんていつくるかわからないし、
勝ち負けではないだろう、という反発は、
主体の中にはたぶんあるのでしょう。
しかしその一方で、「何故か嫌ひになれないでゐる」。
そんな台詞を言わざるを得ない事情を知っているのか、
どこかで共感してしまうせいか、
なかなか複雑な心境がうかがえる一首です。

細部を詠めという声つよく押しのけて逢おうよ春のひかりの橋に     大森 静佳     58

短歌では細部、ディティールの描写で俄然よくなることがあります。
そんなことは充分わかっているのだけれど
あえて「つよく押しのけて逢おうよ」と言い切る強さ。
「橋」という場所の設定も暗示的で
新しい境地へ進んでいく気持ちなのかもしれません。

目を伏せて息深く立つ冬の馬いつからおまえはこの夢に棲む       芦田 美香      60

冬の朝の夢の中の景色。
「目を伏せて息深く立つ」という描写に惹かれます。
目の動きや様子、息遣いなどで
夢の中なのに、妙にリアルで
生きものが持つ存在感を立ち上げています。
この歌の中で「冬の馬」は
なんとなく神の使いみたいな
神秘的な印象をまとっています。

貼られたるシールの文字がまぶしくて一身上による一身上のための    西之原 一貴     71

詠草を見ていると、だれか退職した人の仕事を引き継いだようです。
「一身上の都合により・・・」は退職の理由によく使う定番の言い方ですが
その背後にはいろんな事情があります。
辞めていった人の事情を何か知っているのか、
引き継いだ仕事の負担が大きいのか、
下の句のリフレインが印象的です。
「貼られたるシール」とは具体的にどんなシールなのか
ちょっとわからないのですが、
ツヤのあるシールのてらてらとした眩しさによって
かえって現実の重々しい部分を暗示しているのではないか、
と取りました。

 

塔2017年5月号 1

最近、塔の会員がそれぞれのブログやSNS
気に入った短歌を塔誌上から選んで紹介していることが多いですね。
お互いにがんばっていきましょう。
では月集から。

雪の街に傘をひらけばあたたかく傘の中には青空がある   栗木 京子         3

下の句がとても惹かれる一首です。
雪が降る中、傘の内側はちょっとした別の空間になります。
傘の中の「青空」は傘の色のせいでしょうか。
それとももっと心理的なものでしょうか。
曇り空から雪が降ってきているだろうけど
傘のなかの晴ればれとした空気感はなんなんだろう。

ひとりごころの北限だった昨夜のシャツをしろがねいろの真水にひたす    江戸 雪      4

昨夜の寂しさを包んでいただろうシャツを
洗濯しようとしているのでしょう。
「北限」という言葉がとても強くて
頼れるものが誰もいないような感じがします。
「しろがねいろの真水」もとても硬質な感じ。
そんな張り詰めた感覚と
やわらかいシャツの対比に
鋭い感覚があります。
上の句が7・7・7となっていて、字余りが目立ちます。
内面に溜まっていた寂しさを吐き出すといった感じで
字余りになったのかもしれません。

拓銀大泊支店の唯一の明るさとして赤きポストは    梶原 さい子        7

サハリン南部の大泊(コルサコフ)を訪れた一連のようです。
古い銀行はどっしりとしたつくりになっているけど
一点だけ、赤いポストがおかれている光景が印象的です。
そこだけぱっと灯がともったみたい。
色の対比が浮かぶ一首です。

どんな人を今まで抱いた腕ですか樹々は静かに夜の呼吸を    川本 千栄     8

たぶん知りたいけど近寄りづらい相手のこと。
上の句の疑問文から、下の句の景へつなげて、
男性の腕から夜の樹々へイメージを広げています。
樹木は夜は光合成をやめ、呼吸だけが残る。そんなイメージもあるのかもしれません。
言いさしの結句で余韻を残しています。

まよひつつ地下書庫にさがすしばらくを足音だけが残る夕森     河野 美砂子    8

結句の「夕森」という言葉に惹かれます。
一応、地名であるみたいですけど、関係はないのかな。
最初に読んだときには、夕暮れ時の森のイメージが広がりました。
地下書庫に資料を探していて過ごす時間。
しずかな空間だから「足音」という人の動きにつれて
発生する音が名残になるのでしょう。

掘削音やみてウェハースかみしめるごとき静けさ春に近づく       山下 泉    14

近くで工事をしているのか、響いていた掘削音がやむと
今度は迫ってくる静けさ。
「ウェハースかみしめるごとき」がとてもよくて
乾いたウェハースが口の中で湿りを帯びていく感じを思いだし、
じんわり迫る静けさに実感がわきます。

一首評 「バス」

きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり 
        永田和宏 「海へ」『メビウスの地平』 

 

難解な歌も多い『メビウスの地平』のなかでは
かなり素直な詠みぶりだと思います。
ある一人に出会ったことで人生が大きく決定されて
以前・以後にはっきりと差異を感じているのでしょう。
「きみに逢う」と「遭いたくて」で漢字を使い分けていて
好ましくないことに使われる「遭う」という動詞が
興味を引きます。

過去を沈めているだろう「海」への道のりをたどることで
今の主体がどれほど恵まれているのか、
確かめたいのかもしれない。
バスというゆったりとしたスピードの乗り物もいいなと思います。
あんまり早いスピードを出す乗り物だと、合っていないかもしれない。
穏やかな揺れを感じる道のりを経て、
まだ「きみ」を知らないころの象徴である「海」に行き、
また戻ってくるのでしょう。

一首評 「舌」

ああ、雪 と出す舌にのる古都の夜をせんねんかけて降るきらら片   
             光森裕樹 『山椒魚が飛んだ日』 

 学生時代を過した京都を詠んだ一連のなかの一首です。
「ああ、雪 と出す舌に」となっていて
一字空けがあることですこし間が生まれて
時間の操り方が巧みな初句になっています。
舌という温かさをもつ体内の一部に
空から降ってくる細かな雪が溶ける。
一瞬で溶けてしまう雪と舌の小さな接点に
「せんねんかけて降る」という時間の流れが凝縮されています。
「きらら片」は鉱物の一種ですが、
この歌のなかでは雪のきらきらしたイメージと重ねられています。
それと同時に「せんねんかけて」降り積もる時間の蓄積から
「きらら片」という鉱物のイメージを導いていて
単に儚く消えるだけの存在ではない、という意思も見えます。
また雪が降ってきたときに舌を出してみるという行為は
ちょっと子供っぽい仕草だと思います。
かつてまだ学生のときに過ごした時間を思いだして
あえてしてみた仕草なのか、過去の回想なのか。
主体のなかに積み重なった時間の蓄積まで
思いをはせることも可能だと思います。

光森裕樹 『山椒魚が飛んだ日』

 光森さんの第三歌集。赤い表紙が印象的です。
結婚を機に石垣島に移住した作者。
今までとは違う環境での暮らしや
子供の誕生が歌集全体を通して描かれています。

■沖縄への移住

蝶つがひ郵便受けに錆をればぎぎぎと鳴らし羽ばたかせたり      

みづのなかで聞こえる声は誰の声こぷりと響めばぷこりと返し   *響めば=とよめば 

島そばにふる島胡椒さりしかりさりと小瓶を頷かせつつ

沖縄での一連はとても美しく、楽しい連作です。
郵便受けの「蝶つがひ」というパーツを動かすときに
蝶の羽ばたきをイメージさせる描写。

沖縄の海のなかでの広がりのあるイメージ、
「こぷり」「ぷこり」といった軽快な音も楽しい。

島胡椒を振るときの音を「さりしかりさり」と
「然」の読みを並べた表現に託している
掛詞みたいな工夫。

光森さんの短歌を読んでいると、
描写するときのイメージの飛躍が楽しい歌が多く、
第三歌集でもとても楽しく拝見しました。

■子の誕生まで

生誕の日に寄る者と生誕の日より離りゆく者とを傘は     *離り=かり

あやまたず父となるべし蕪の葉を落としてまろき無を煮込みつつ   

硝子器に喘ぎてやまぬあなたから目を背けたい、から背けない

家族という現実の中の強力な存在が描かれている点が
光森さんの今までの歌集とはだいぶ雰囲気が異なっている点です。
今までは美しいイメージを自在に描いてきた感がありますが
この歌集では、妻そして生まれてくる子供との生活が
詩の言葉で綴られています。

一首目は妻と同じ傘に入っているのでしょう。
だんだんと子の誕生に向かっていく妻と、
自身の誕生日から離れていく夫である主体。
並んで歩いていながら、大きな差異が
一本の傘というアイテムに内包されています。

二首目は漢字の面白さをいかしている歌。
「蕪」という漢字の草冠を取って「無」という漢字にしたことで
「蕪の葉を落と」すという作業を文字で表現していて、興味深い。
やがてやってくる子の誕生を待ちつつ、
「無」を煮込む、という言葉から考えると
なんとなく不気味さ、不可思議な感覚をも感じているようです。

出産は難産だったようで、出産の日を詠んだ連作では
緊迫感のあふれる一連になっています。
その一番最後におかれたのが三首目です。
呼吸が整わない子の様子を見ながら
「目を背けたい、から背けない」という揺らぎや決意を詠んでいます。
読点ですこし間を取りながら否定形で終わることで
滲むような気持ちを表現しています。

■父親としての歌

雨よりもさきに教へるあまがさのあなたが生まれてから苦しいよ   

子に吾の名を教ふるはさびしかり別れのことばを手渡すに似て

日傘からはみ出す吾の透けゆくとき目を見て云ひなさい、さよならは

子供が生まれてからの父親としての歌にも
光森さんらしい視点がいきています。
今回印象に残った歌を見ていて、
お子さんに言葉を教えているシーンが多いな、と思いました。
もちろん、いろんなことを教えていくのですが
ぐんぐんと言葉を吸収していく様子を傍で見ていて、同時に
いつか来る別れを予感しているような内容を含んでいます。

一首目では実際の雨よりも先に
雨傘というアイテムを教えている様子。
二首目では父親である自分の名前を子に教えている様子。
三首目は日光を避ける日傘を指していて、主体が日傘からはみ出すときの様子。

「あなたが生まれてから苦しいよ」
「別れのことばを手渡すに似て」
「目を見て云ひなさい、さよならは」
子供との濃密な時間を過ごしながら、
それがずっと続くものではない、と
確認しているようです。

この歌集のなかでは自分の子供のことを「其のひと」と指していて、
実際の名前も性別も明かさないあたり、
子供を詠んだ他の歌人の歌とはかなり異質な雰囲気も持っています。
わたしにはその意図はわかりかねるのですが
性別といった属性や名前を排することで
特定のイメージが安易に定着するのを避けようとしているのかもしれません。

この歌集のなかでは父親として子供の名前を考える様子が
とても大きなテーマになっていて、
男性が子供の生誕に向きあう一つの姿として
面白い切りとり方になっています。
男性が子供の誕生や育児を詠んでいる作品も
割と多くなった印象がありますが・・・
名を授ける、という行為を通して描写することで
誕生までの時間を咀嚼していく、という心理を
描き得たのではないかと思います。