波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2019年1月号 4

3月になってしまった。・・・早いな。

2月は中旬に忙しかったので、ブログの更新が進みませんでした。

あ、でも塔2月号は読んでいますよ。

 

 

思慮深い言葉ではなくゆらめきの声がほしいよ梨のしたたり    中田 明子     P159

どんな言葉が欲しいのか、はそのときどきで違うのでしょう。

いま作中主体が欲しているのは、「思慮深い言葉」よりも不安や落ち着かなさをあらわした「ゆらめきの声」。

じっくり考えた言葉やアドバイスのほうが、もしかしたら役に立つのかもしれない。でも、欲しい言葉とは違うのでしょう。

「ゆらめきの声」は儚くて、つかみどころのないものでしょう。聴けたところで、現実はどうなるものでもないのかもしれない。それでも欲しているところに、切なさを感じます。

「梨のしたたり」は梨そのものよりも、果汁や滴を思わせて「ゆらめきの声」と呼応しています。 

あたたかき色に燃え立つ箒草まどろむ君の耳にふれたし      福西 直美     P160

「箒草」はコキアのこと。ふっくら丸いフォルムと、濃い赤色に色づくさまがとても印象的な植物です。

丸いコキアが色づくさまは、火や炎を思わせて、とても幻想的。ちょうど、色づいている季節なのでしょう。

上の句で幻想的な光景を思い浮かべた後に、現実の家のなかの空間や時間に展開します。

作中主体のとなりには、ゆっくりまどろんでいる君がいます。なぜ箒草から耳なのか。形状なのか、温度なのか、共通している点はなんなのか。

「耳」という会話を聞くための器官に触れたいという願いは、なにか聞いてほしい共有したいなにかがあるせいかもしれない。

とろとろと煮込まれてゆく戻らないことのみ想う真夏の大根    森永 理恵     P162

大根の旬は冬ですが、ここではあえて「真夏の大根」。ちょっとちぐはぐな食品を持ってきていて、どこか違和感のある語です。

暑い時期だというのに、時間をかけて煮込んでいるみたいです。形は残っているのに、食べるときにはかなり柔らかくなっているだろう大根。

時間をかけた料理の最中に考えるのは「戻らないことのみ」。「のみ」という限定の強さで、こだわりとか後悔しているんだろう気持ちの強さが伝わります。

「とろとろと煮込まれてゆく」のは大根ですが、調理している作中主体の気持ちのありようも表していて、時間をかけて現実を受け入れようとしているのかもしれません。 

束にして花舗に買ひたるかすみ草銀河のかるさをはこぶ家まで     越智 ひとみ    P168

「かすみ草」は小さな白い花で、花束にボリュームを出すような使われ方もあります。

かすみ草だけで花束を作ると、それはそれでふんわりとした膨らみを感じます。かすみ草の花束はなにか必要があって、自分のために買った花束でしょう。

抱えているときに重さを感じることなく、楽に運べる。感じるのは、むしろ空気を含んだふくらみや小さな花の集まりの楽しさのほう。

「銀河のかるさ」という言葉が入ることで、手の中にあるかすみ草の花束という、ささやかな物が、壮大な広がりをはらんだものに思えてきます。

日常の中に見いだす、非日常的な感覚や美しさ。これも短歌の楽しみです。