波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年11月号 4

沖縄の土が話してゐるやうな大田元知事の声を悼めり     西山 千鶴子 P140

1995年に沖縄で起きた米兵による少女暴行事件。

その後に軍用地の強制使用手続きへの代理署名を拒否したのが

当時の沖縄県知事・大田氏でした。

大田氏は今年6月に他界。

「沖縄の土が話してゐるやうな」という比喩はとても素朴ですが

その土地に生きた人の声の響き具合や温かさを表しています。

ただ、声に対して「悼めり」はやや違和感があります。

「偲べり」「思へり」などの方がいいかもしれません。

船の上の食堂のやうだ生活は 夏には夏の港を炎やして     石松 佳   P152

船上の食堂とはどんな空間だろう。

海の上である以上、どうしても揺れるイメージが浮かびます。

どこか不安定な雰囲気がつきまとう場所に「生活」を喩えていて

主体の状況を想像させます。

下の句はとても難しいのですが

暑い夏、「炎やして」という火の熱さ、港の風景などが

混在して浮かんできます。

しかし、上の句と下の句それぞれのイメージは鮮烈なのですが、

二つの比喩があまり効果的に結びついていない感じもあります。

また一つ鍵をかへしてこの国に浅く下ろした根を抜いてゆく     加茂 直樹  P156

仕事で数年を過した国を、また仕事の都合で去りゆく。

数年間とはいえ、確かにその土地に暮らしてきた証でもあった

「鍵」というアイテムをひとつひとつ返却していく。

そのたびに少しだけ下ろしていた「根」を抜いていくという感覚。

いつか薄れていく感覚かもしれないけど

小さな感覚を描き留めています。

熱あてて熱こもらせる夏の髪ゆびでといても縺れるばかり   高松 紗都子    P157

夏の熱気は髪にも籠もる。

夏の光を浴びた髪を指でほどいているシーンかな。

「縺れるばかり」の髪はなんだかとてももどかしい。

初句から三句目までそれぞれの頭に

「熱」「熱」「夏」という音を配置していて

リズミカルな魅力もあります。

せいぎってなんなんやろね伊万里からはみ出す秋刀魚は左を向きぬ    田村 龍平  P179

ときどき聞くわりには得体のしれない言葉「せいぎ」。

ひらがなによる初句、二句で

その違和感を詠んだ歌だと受け取りました。

伊万里」「秋刀魚」といった漢字の並びも面白く

皿からはみだす細い魚は

枠に収まりきることが出来ない心理、違和感の喩として効果的です。

塔2017年11月号 3

灯台の光が一周するまでの闇に思いしヴァージニアウルフ     小山 美保子   P96

ヴァージニア・ウルフの小説に『灯台へ』という小説があるので

そこからの連想かな、とは思います。

「一周するまでの闇」という点が興味ぶかく

灯台の光が周っている限られた時間のなかで

触発される記憶は主体にとって

なにか深い部分から引っ張られた感じがするのです。

翠の淵に守りたきもの在ることを真白な便箋にしたためる人   森 雪子     P107

「翠の淵」というのが具体的に何なのか不明なのですが

「翠」という色のせいもあって静謐、神秘的なイメージでとらえました。

「真白な便箋」というアイテムが考えを綴っている人の

潔癖さとか気持ちの強さを伝えています。

ただ上の句がとても抽象的なので

「真白な便箋」をもう少し具体的に描写してもいいかな、とも思います。

夕暮れの釜飯屋さんの行列に名字で呼び合っているわたしたち    逢坂 みずき     P115

今回の詠草から、ちょっとした旅行での歌だろうな、と思います。

でも一緒に行っている人とは「名字で呼び合っている」ので

ちょっと距離があるんですよね。

「釜飯屋さん」っていう場所や「行列」がよくて

いつもとは違う空間に紛れ込んでいる感じがあります。

「やり直したいと思う?」とメール来ぬ元恋人はひまはり畑    *来ぬ=きぬ 

              永山 凌平   P120

「やり直したいと思う?」とはすこしずるい聞きかたかもしれない。

疑問形で聞くことで、どちらの答えが返ってきても

返信した相手の意図任せで

自らはあまり責任を負わなくてもいいようなニュアンスがあります。

そんな元恋人のズルささえあまり否定的にならずに描いています。

元カノではなくて、「元恋人」という表現も軽くなりすぎない言葉の選択です。

結句の「ひまはり畑」でぼんやりと明るいイメージに飛躍します。

玄関のあかりを灯す みずうみに確かに触れてきた指先で    紫野 春    P132

作者は東京に住んでいるようですが、

久しぶりに河川や湖のあるエリアに行ったことが

一連の作品の中からわかります。

いつもの住まいに帰ってきて、まずつける玄関の灯。

指先がいつもとは違う温度や色に触れてきたことを

思いだして、その冷たさにまだ非日常の感覚を見出しています。

普段の生活にもどればたぶん忘れてしまう感覚で、

かすかに身体に残る湖での時間を惜しんでいる歌です。

秋晴れの(わたしの消えた)校庭にりっしんべんのように立つきみ    田村 穂隆     P133

校庭は広い。秋晴れならなおさら広く感じそう。

もう主体がその校庭に立つことはないのだろうけど、

「きみ」がまだいることは知っているようです。

自分自身がもういない空間の広がりと、

ぽつんと立つ人の存在の儚さや頼りなさを面白い表現で描いています。

「りっしんべんのように」とは面白い比喩で

「心」を偏にした部首なので

「きみ」の心情を思っている主体の細やかさが伺えます。

またちょっとひょろっとしたイメージの「りっしんべん」なので

校庭の広さとの対比にもなっていると思います。

(わたしの消えた)は評価が分かれるかもしれないのですが

かつていたけど、もういないという事実を

途中で強引に差し込んでおきたかった表現なんだろう、と

わりと肯定的に見ています。

塔2017年11月号 2

従兄弟からメールの返信届きたり郵便ほどの時間をあけて       北辻 千展       P62       *「辻」は点ひとつのしんにょう

メールでやりとりしているけど

相手からの返信が数日後だったのでしょう。

「郵便ほどの時間をあけて」がよくて

使うアイテムが変わっても感覚はあんがい、

昔の感覚を引っ張っていそうな感じがよく出ています。

明け渡してほしいあなたのどの夏も蜂蜜色に凪ぐねこじゃらし   大森 静佳    P62

結句にかけてイメージの広がりが美しい歌です。

「明け渡してほしい」という相手への激しい願いと

たぶん夕暮れの光を浴びている一面のねこじゃらしの風景。

初句の呼びかけから結句にかけて読んでいて

ぱっと光景が広がります。

帽子のように遠いひとだとおもうとき脱いではならぬ帽子だ、これは  白水 ま衣   P63

相手との距離間を帽子というアイテムに託している歌と読みました。

頭にかぶるアイテムなのに「遠い」ものとしてとらえつつ

同時に自分の頭から「脱いではならぬ」と言い聞かせている。

そんな矛盾した距離感が、主体と相手との距離らしい。

心理的に遠いけど、物理的には近い相手かな、と思います。

もし帽子を脱いでしまえば本当に遠くなってしまう。

自らに言うセリフとして結句の「帽子だ、これは」が

倒置によってより強く響きます。

飲みほした水のボトルを放るとき遠き砂漠を隊商がゆく     沼尻 つた子   P75

空になったペットボトルを放り投げて捨てる瞬間から

一気に飛躍して実際には見えない

「遠き砂漠を隊商がゆく」という光景に結びつけています。

強引ながら一瞬うかぶ遠い異国のイメージが

夏の暑さを思わせます。

夏競馬まるで当たらぬ親方と窮屈に食ふ昼の弁当      小林 真代    P80

「夏競馬」とはどこか牧歌的な言葉ですが、

「まるで当たらぬ」以上、不機嫌だろう親方。

一緒に弁当を食べている側も気を使って、なんかしんどい。

内容がコミカルで面白い一首です。

立ち話するにほど良き高さなり木槿の白が小耳を立てる    嶋寺 洋子   P87

       *高さの「高」ははしごの「高」

木槿の花は大きな花びらの美しい花です。

けっこう高い位置で咲いていることもありますが

主体が近所の人と立ち話をしようとしたときに

ちょうど白い木槿が顔の近くにあったのでしょう。

小耳をたてる、でけっこう大きな花びらの存在が出ています。

明日あたり長い手紙が届くから答えはみっつ用意しておく     岡本 幸緒   P93

なぜ手紙が届くのか、どうしてそんなに長いのか、

主体はよくわかっているのでしょう。

手紙に対して、「答えはみっつ」あるという。

承諾、拒否、保留といった回答の内容があれこれ浮かびました。

手紙という形でやってくるだれかの意志、

それをよくわかった上で迎える側の心づもり、

相手との関係や距離感、ささやかな心の機微にも思いが及びます。

塔2017年11月号 1

全国大会の特集なので分厚いよー。では月集から。

ははそはの母型彫刻機はベントン式 パンタグラフの原理とぞいふ

               真中 朋久   P3

たしか、ある歌会で題詠「母」として出された一首でした。

題をそのままのイメージで詠むのではなく、

ちがうイメージに結びつけていて、工夫の参考になる一首だと思います。

「母型彫刻機」は活字印刷に使われた機械です。

清書された原図の文字をなぞって、縮小された活字を生産した器具ですが

もともとはパンタグラフという製図具を応用したものだった、

という事実が詠まれています。

・・・知識のないひとにはついていきにくいなぁ。

でも読みごたえのある歌です。

強がりは断定的に言うべしと諭すがごとし馬鈴薯のはな

                山下 洋   P3

馬鈴薯の花は白色や薄紫のかわいい花ですが

「強がりは断定的に言うべし」と教えてくれているようだ、と言います。

強がりなので、あくまで言い切ることが大切。

馬鈴薯の花は、星型の花のなかに黄色い芯があって、

意外とメリハリのある花だったと思います。

「べし」「ごとし」と文語の響きが続いてから

馬鈴薯のはな」という結句を持ってくることで

ちょっとふんわりした色の花を思います。

炎昼のまぶたにひとり走らせる青い毛並みの馬はあなただ

                江戸 雪  P4

陽射しの強い真昼、思いだす人がいるのでしょう。

相手のことを「青い毛並みの馬」としたことで

幻想的な広がりがあります。

くらっとするような暑さと

走り去っていく馬と、自分だけに広がる

イメージに形を与えている歌です。

みづうみをめくりつつゆく漕ぐたびに水のなかより水あらはれて

             梶原 さい子   P7

前後の歌から、磐梯山の湖をボートで巡ったときの歌とわかります。

「めくりつつゆく」が面白くて、ボートが進むにつれて

ひろがる水の動きが目の前に浮かんでいきます。

オールで水をかくしぐさを、「水のなかより水あらはれて」という点も

観察が生きています。

樹のつくる三角形の影のなかわが夕暮れの指定席はあり

             なみの 亜子  P11

夕暮れどきだから樹木の影が長く伸びて

「三角形の影」を作っているのでしょう。

疲れた時に座る自分だけのスペースを持っているのかもしれない。

鋭い三角形の形の中に入ることで

周りから隔たりが欲しい、ということかなと思います。

「指定席」という表現にけっこうこだわりを感じます。

平日歌会に行ってみた。

久しぶりに「塔」の歌会の話など。

先日、塔事務所で行われている平日歌会に参加してみました。

木曜日の昼間にやっているので、なかなか参加できなかったのですが

今回は祝日とかぶっていたので、ためしに参加。

 

歌会が1時からなので15分くらい前に事務所内に入ると、すでに人でいっぱい。

今回は20首あるなかから、いいな、と思った歌を4首選んで

それぞれ選んだ歌を発表します。

その後、一首ずつにたいして

いいと思った人、思わなかった人それぞれに意見を言います。

 

人数が20人くらい、事務所内で話し合うので

同じく京都で開かれる旧月歌会よりもアットホームで

話しやすいかもしれない。

旧月歌会が敷居高い、っていう人は最初は

平日歌会のほうがいいかもしれないですね。(日程があえば)

 

今回、とてもいいなと思って選んだけど

良さを説明することがとても難しい歌がありました。

でもいいと思ったら素直に選んでおく、という姿勢でいいと思う。

 

歌会の最中に編集長の松村さんが言っていたことで印象的だったのが

「歌会で選歌するときに、後で意見を言うことを考えて

説明がつく歌を選ぶ人がたまにいるけど、

それは”いい歌”を選んでいるのではなくて

”説明しやすい歌”を選んでいるだけですからね」

という内容のせりふ。(確かこんな感じ)

 

つい説明できる歌を選んでしまう気持ちはわからないでもないのですが

それでは感覚を磨くことにならない、と思います。

「いい作品を見抜く眼を持っていることも実力のうちだ」と

昔、言われたことがあります。(短歌の世界ではないですが・・・)

 

自分で選んでおきながらうまく説明がつかないのは

歯がゆいのですが、歌会にせっかく出るのなら

自分の感覚がどれくらいのものかチェックしてみたいです。

 

   *

「塔」の中からいいな、と思った歌を選歌して

このブログで紹介していってすでに約1年たっています。

できるだけいろんなタイプの歌を取り上げるようにしています。

私は必ずしもいろんな歌会に多く出ているタイプでもないので

いいと思った部分を言語化していく練習として

やっておいてよかったと思っています。