切手帖のくらやみのなかのうつくしき鳥たちいつせいに発火するごとし
真中 朋久 「火光」 『火光』P100
「火光」のなかでとても印象的だった歌です。最近、読み直していて、やっぱり印象深い。
美しさと怖さが同じ作品のなかにあることがしばしば、あります。
切手には美しいデザインも多く、コレクションしている人もいます。整然とならんだ切手帖のなかの切手。小さな絵の展示会みたいで、見ていて飽きないでしょう。
開いたページには鮮やかな色の鳥が多く並んでいるのだろうけど、パッと火を放って燃えることを幻視してしまうことは残酷で、しかもきれい。
なにかが燃えるさまや壊れるさまを見ていて、あるいは想像して、そこに美を見出すのはべつに不思議じゃない。
取返しのつかない怖さを含んでいて、見ているものを魅了する面があるんだろう、と思います。
美しいんだけど、どこか怖い、そして、その両面性があることで、より強く惹かれる、たまにそういう作品もあります。
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歌にひそむ二面性ということで、思い出すことがあります。
だいぶ前のことですが、ある映画を初めて見たときと2回目に見たときでは、作品の印象がかなり変わっていて、衝撃だった経験があります。
初見のときには世間で言われているような悲しい作品だと思っていたのに、その後10年くらいたってから見たらずいぶんと感覚が変わっていました。
画面からその作品の本質が迫ってきて怖かった。
世間で言われているよりもずっと怖い作品、と自分で気づいたことで私のなかの価値観がかなり変わってしまった経験でした。
時間がたったからといって、作品が変わるはずもなく、変わったのは見る側である私の内面ですが。
作品と出会うのが、どんなタイミングかによって、同じ作品であっても意味や印象がかなり変わってしまう。
気になる作品や優れた作品とは、何度も再会したい。
いつどのタイミングで読み返すか、見直すかによって、前とは違う感覚が生じていることを感じてみたい。よくそう思います。
価値観を根底から揺さぶられるほどのショックは、そう頻繁に感じるものではないので、さきの映画ほどの強烈な再会は、人生であれ1回くらいだろうとは思ってますが。
歌集「火光」は最初読んだときから難解とは思うものの、再会してみたい歌集のひとつ。
できたら、前回読んだときよりももうすこし、私が読み解けるようになっているといいのですが。