波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評 「素足」

大いなる薔薇と変はりし靴店に素足のままのきみをさがせり    
      水原 紫苑 「湖心」『客人』    

 

靴店に素足、という点が意外な感じで気になりました。
新しい靴を探すときに、いちど素足(少なくとも靴は脱ぐ)になることを
踏まえて詠まれているのではないかな、と思います。

「大いなる薔薇と変はりし」は幻想的で不思議なイメージですが
薔薇の幾重にも重なった花びらを考えると
一度入った後、選ぶべき靴にあれこれ迷って店から出てこない、
みたいな感じかな、と思いました。
複雑なフォルムをもつ薔薇の花と
「素足のまま」との対比も面白い構造です。

読む人によっていろんなイメージが膨らみそうです。

塔2016年11月号から 11

11月号の紹介、終わったなーとか思っていたら月集をとばしていますね。
いや、別にわざとじゃなくて思いつきで新樹集から始めた都合、
次のページに進んでいっただけです・・・・。

ネクタイをまた締めてゆく秋となり小鮎のような銀で挟めり   吉川 宏志   P2

たしか歌会で見て、わぁいいなぁと思った記憶があります。
ネクタイを留める「小鮎のような銀」がポイントで
詩的な美しさがあります。
ネクタイという縦長の布が
なんとなく川に思えてくるから不思議。

人称はまだ僕でいい稲妻が遠くのビルを撓らせている     永田 淳   P4

「人称はまだ僕でいい」
これは息子さんへの言葉かな、と思いました。
男の子は自分のことを僕、俺、私など
言い方が年齢によって変わっていくので
どんどん大人になっていくのを
見守りながら同時にそんなに急でなくていい、
と思っているのかもしれない。
鳴っている「稲妻」はそのうちやってくる
困難を暗示しているみたいで、
相手を見つめるまなざしとか不安が
混在している一首だと思います。

十二人の手配写真の男らとともに待ちたり次の電車を     松村 正直   P4

映画のワンシーンでありそうだな、
と思って楽しく読んだ一首です。
「十二人の手配写真の男ら」っていうのがいいですね。
主体もそのなかにまぎれているのが
なんだか面白みがあって、
日常のなかに発生する偶然を
切りとっていて、コミカル。

墓石と墓石の間を埋め尽くす雪ありにけむ長き戦後の      梶原 さい子   P7

ここしばらく、梶原さんの詠草では
ロシアを訪問した歌が続いています。
とても興味深く拝見しました。
今回は日本人墓地を訪れた時の歌。
墓地を訪れて、見ているのは現在の風景と同時に
その地にながれた歳月の長さでしょう。
墓石の間にあっただろう雪の多さと
戦後の時間の長さを
重ねていて、重みのある一首です。

しづけさは遺品のやうだ八月の窓のかたちとそれを満たす陽     澤村 斉美   P10

「遺品」という言葉がおごそかで
夏の終わりを感じる歌です。
まだ暑いけど、確実に終わっていく夏。
「八月の窓」は額縁、
強い陽のひかりは遠い思い出みたい、と感じます。

両手のばし背を反らせる木彫の猫のあらがふうちなる固さ  *背=せな  万造寺 ようこ P13  

実に面白い視点の歌です。
木彫の猫のなかに、実は本物の猫がいて
外に出ようとしている、みたいな面白さがあります。
猫の置物の描写も的確で
すぐにフォルムをイメージできます。

 

塔2016年11月号から 10

塔2016年11月号の若葉集・山下洋選歌欄から。

遠いところは遠くにあったあの頃の茶の間のテレビに奥行きがあり  竹田伊波礼   P195

「茶の間のテレビ」はもうレトロなアイテムになりましたね。
今から考えると不格好なほどの奥行きがありました。
当時よりも情報はどんどん流れて
大量に接するようになった一方で
失った感覚もあるのでしょう。
たしかに「遠いところ」は多かった気がします。
もう見なくなった物への着目が面白い。

彼だけの夏がありたりブルペンに肩あたたむる背番号十    垣野 俊一郎   P201

「背番号十」という結句に重みのある一首です。
二句までの内容を受けて出てくる
少年の描写がいいな、と思います。
淡いスケッチみたいな描き方で
夏の一幕が切りとられています。

      *

 

って、やっと選歌欄終わったよ・・・。
やはり欄が多いんだよ。
次月以降、できるのか?
早くも終了の予感。

塔2016年11月号から 9

塔2016年11月号の作品2・三井修選歌欄から。

むらさきの淡き桔梗の花びらにむらさきの濃き筋目あり、雨   清水 良郎   P172

一輪の桔梗のなかの
紫の濃淡に着目している観察がとてもいい。
結句の「、雨」も面白く
桔梗の花びらを雨滴が
つたっていく様子が浮かびます。

若死にの母の髪型なつかしい六条麦茶のボトルのラベル   三宅 桂子   P182

六条麦茶のボトルのラベル」というと、
髪を結った女性のイラストがある。
このイラストから
「若死にの母の髪型」に思いが及ぶところが
素朴だけど印象的。
「母の髪型」まで詠んだことで
なんとなく面影が伝わる。

Tシャツは首まはりから世馴れして部屋着つぽさを刻々と得ぬ   濱松 哲朗    P183

だんだんと着ふるして、よれていくTシャツ。
「首まはりから」という描写で
くたびれていく感じがよく出ている。
「世馴れ」という表現が面白い。
この言葉はなかなか出てこないなぁ。

 

塔2016年11月号から 8

塔2016年11月号の作品2・小林幸子選歌欄から。

記憶とはむしろ細部のことばかりくびすじ蒼きひとでありたり  中田 明子  P157

毎回巧いのが中田さん。
人間はどんどん忘れていく。
記憶はまさに断片として残っていく。
「くびすじ蒼きひと」はなんだか
儚い印象をたたえています。
この一首を読んでいると、
夢のなかを覗いてしまったような気持ちになります。

 

百日紅ふきだして夏、熱帯夜うすい背びれをひるがえしたり  山名 聡美  P158

今回の山名さんの詠草で特に惹かれた歌です。
「うすい背びれ」によって
熱帯夜が大きな魚として
夜空にいすわっているようです。
ちょっと幻想的な感じをたたえた一首。
ほかにも山名さんの歌で

土を離れふたたび土に落つるまでの蝉の時間に注ぐ陽光   
*蝉は旧漢字 *離れ=かれ   山名 聡美   P158

もとてもいいなと思います。
「蝉の時間」という言葉で、
人間の一生とは違う生命の流れがあるんだ、
と再認識します。