波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2016年11月号から 10

塔2016年11月号の若葉集・山下洋選歌欄から。

遠いところは遠くにあったあの頃の茶の間のテレビに奥行きがあり  竹田伊波礼   P195

「茶の間のテレビ」はもうレトロなアイテムになりましたね。
今から考えると不格好なほどの奥行きがありました。
当時よりも情報はどんどん流れて
大量に接するようになった一方で
失った感覚もあるのでしょう。
たしかに「遠いところ」は多かった気がします。
もう見なくなった物への着目が面白い。

彼だけの夏がありたりブルペンに肩あたたむる背番号十    垣野 俊一郎   P201

「背番号十」という結句に重みのある一首です。
二句までの内容を受けて出てくる
少年の描写がいいな、と思います。
淡いスケッチみたいな描き方で
夏の一幕が切りとられています。

      *

 

って、やっと選歌欄終わったよ・・・。
やはり欄が多いんだよ。
次月以降、できるのか?
早くも終了の予感。

塔2016年11月号から 9

塔2016年11月号の作品2・三井修選歌欄から。

むらさきの淡き桔梗の花びらにむらさきの濃き筋目あり、雨   清水 良郎   P172

一輪の桔梗のなかの
紫の濃淡に着目している観察がとてもいい。
結句の「、雨」も面白く
桔梗の花びらを雨滴が
つたっていく様子が浮かびます。

若死にの母の髪型なつかしい六条麦茶のボトルのラベル   三宅 桂子   P182

六条麦茶のボトルのラベル」というと、
髪を結った女性のイラストがある。
このイラストから
「若死にの母の髪型」に思いが及ぶところが
素朴だけど印象的。
「母の髪型」まで詠んだことで
なんとなく面影が伝わる。

Tシャツは首まはりから世馴れして部屋着つぽさを刻々と得ぬ   濱松 哲朗    P183

だんだんと着ふるして、よれていくTシャツ。
「首まはりから」という描写で
くたびれていく感じがよく出ている。
「世馴れ」という表現が面白い。
この言葉はなかなか出てこないなぁ。

 

塔2016年11月号から 8

塔2016年11月号の作品2・小林幸子選歌欄から。

記憶とはむしろ細部のことばかりくびすじ蒼きひとでありたり  中田 明子  P157

毎回巧いのが中田さん。
人間はどんどん忘れていく。
記憶はまさに断片として残っていく。
「くびすじ蒼きひと」はなんだか
儚い印象をたたえています。
この一首を読んでいると、
夢のなかを覗いてしまったような気持ちになります。

 

百日紅ふきだして夏、熱帯夜うすい背びれをひるがえしたり  山名 聡美  P158

今回の山名さんの詠草で特に惹かれた歌です。
「うすい背びれ」によって
熱帯夜が大きな魚として
夜空にいすわっているようです。
ちょっと幻想的な感じをたたえた一首。
ほかにも山名さんの歌で

土を離れふたたび土に落つるまでの蝉の時間に注ぐ陽光   
*蝉は旧漢字 *離れ=かれ   山名 聡美   P158

もとてもいいなと思います。
「蝉の時間」という言葉で、
人間の一生とは違う生命の流れがあるんだ、
と再認識します。

 

塔2016年11月号から 7

塔2016年11月号の作品2・永田淳選歌欄から。

塔という結社にいます、タワーの。と言いつつタワーを形づくる手     逢坂 みずき   P145

なんだかおかしかった一首。
所属している短歌結社のことを説明するのに
どう説明しているのか、生き生きと描写しているのがいい。
「タワーを形づくる手」まで描写したところが面白い。
句読点の配置や、会話をいかした文体も、
その場の会話の雰囲気を伝えてくれます。

ンゴロンゴロんから始まる言葉にはスコールが降り始める予感す       池田 行謙    P155

「ンゴロンゴロ」とはすごい地名だな、とかつて思った記憶があります。
たしかアフリカの地名で世界遺産だったな、と思ってしらべたら
タンザニアの自然保護区でした。
奇妙な感じを持つ言葉から芽ばえる「スコールが降り始める予感」には、
新しい言葉を聞いたときのイメージの広がりの面白さがあります。

 

塔2016年11月号から 6

塔2016年11月号の作品2・江戸雪選歌欄から。

モノクロの人ら行き交う五番線ホームの朱きポスト黙せり       岡村 圭子  P129

「モノクロの人ら」はたぶんスーツなど
ダークトーンの服装なんだろう。
人がモノクロであるのに対して、
ポストの色がやけに鮮やかで、
物体のほうが個性的で目立ちそう。
「五番線ホーム」という場所の設定も
わりと大きな駅の混雑ぶりをうかがわせて面白い。

死ぬるとき貝はみづから身をひらきうすももいろの肌をさらせり    足立 訓子    P129

アサリなどを調理していると、このシーンを度々見る。
「うすももいろの肌」という言葉で、
いままさに死んでいく貝、
その貝を食べて生きていることなどが
浮かんでは消えていく。
ひらがなの柔らかい表記もいいと思う。