波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

「中東短歌3」での対談をもういちど読んでみる

ブログをはじめるにあたってどの書籍をとりあげようかすこし迷ったが、初回は「中東短歌3」のなかの齋藤芳生さんとサムーイール氏の対談を読み返してみたい。

福島県在住でいまも震災の被害を見続けている齋藤さんと、シリア内戦を逃れてヨルダンに避難しているサムーイール氏との間には、日本と中東という地理的な差異があるにもかかわらず、思考や悩みについて共通点が多く、その点が興味深かった。
*以下の対談部分は「中東短歌3」中の対談「シリアとの距離を埋めるもの」より引用。


齋藤:私が住んでいる地域も放射線量が高いと言われていて、未だに皆、不安な日々を過ごしています。そういう中で言葉を紡いでいこうとする時、ただ言葉が「降ってくる」のを待っているだけでいいのかという問題を、ずっと持ち続けています。
(略)また一方で、そうは言っても故郷の大変な状況を訴えるだけでは文学にならない、という葛藤も常にあります。

 

 作品をうみ出すことと、しかしその一方で眼の前の現実を扱わなくていいのかというジレンマは表現をするひとの誠実な一面だと思う。
私自身のことをふりかって考えると、東日本大震災のときにいくつか震災を詠んだ歌を投稿したことがある。
が、あとになってそれらの歌を詠んだこと、そしてどこかで他人の眼に触れる可能性のある場所に投稿したのは安易だったかな、とあとになって思ったのだ。
社会的に大きな出来事が起こると、それをテーマにいくつもの同じような歌が量産されるのはよくおこることだ。仕方ないことなのだろうと思いながら、同時に違和感も感じるようになった。
当事者でもない人がたとえば震災を詠むことはどうなんだろうと、いわゆる当事者性の問題も常につきまとってくる。

大きな事件がおこるとどうしても誰もが何かを言いたくなる現象を何回も見ているし、特に最近は自分の考えたことをすぐにネットで発言することもできるし、写真や動画も投稿できるし、さらに広範囲の人に拡散されることがある。
都合が悪くなったら取り消すこともできる場合が多い。
でもそれがどれだけ影響を及ぼすか、ほんとうにこの言葉や画像を公の視線にさらしていいのか、考えてそののちの言葉はどのくらいあるんだろうかとたまに思う。


ネット上での短歌への言及も耳の痛い話だった。私自身はネット上で短歌をよく詠むようになったので、ネット上で発表される短歌の面白さは知っている。優れた作品があるのも知っている。ただ、量産されていく短歌を見ていて見慣れてしまった、似たり寄ったりの印象の短歌に飽きてしまった、といった感覚もこのごろよく感じる。

 

サム:どんな人間も、たとえ才能がなくても、簡単にインターネット上で作品を発表することができます。レベルの低い作品がインターネットで大量に幅広く発表されると読み手の味覚が弱まってしまいます。インターネットの作品を読んで、これが文学なのだな、と思ってしまうのです。というのも、読書の味覚というのは、訓練なのです。良い作品を読めば、味覚もまた良くなるのです。そして「弱い」作品を大量に読むと、味覚も「弱く」なります。

 

どんな作品に触れて、どんなふうに取り込んでいくかで自分の作品の質も変わっていくのだろう。
自分のなかで血や肉になっていってくれるような作品を読みたいし、そうなるような読みかたができるようになりたいなと思う。



上記の対談をふまえて詠まれたという、編集長である千種創一さんの短い連作をなんども読んだ。塔2014年10月号の10代20代特集のなかの「雨と務」である。2首だけ引いてみる。

 

通訳は向こうの岸を見せること木舟のように言葉を運び

虐殺を件で数えるさみしさにあんなに月は欠けていたっけ

一首目、向こうの岸を「見せる」にとどめる、あるいは留まる「通訳」の意味や限界の提示が適切だ。そして「木舟」というやや非力な感じが言葉を仲介することにともなう難しさを示しているようだ。

二首目、下の句がやや無防備すぎるかなとも思ったが、わたしはこの一首は好きなのだ。上の句と下の句のつなぎの「に」がさりげないけど、感情と光景のあいだをつないでいる。いつのまにかあんなにも大きく欠けてしまった月が、現実の世界から削がれていく人間性の象徴のように感じるのだ。


残念ながら「中東短歌」は3号で終刊してしまった。最初からそう決まっていたそうなので仕方がない。
ただ、中東についても短歌についても、いままでよりも視野を広げるきっかけをくれた大事な同人誌なのだ。

私が自分の作品の扱い方や発表の仕方、方向性に迷った時にはそっと取りだして読みなおしたいと思っている。