波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

千種創一 「砂丘律」

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「中東短歌」という同人誌のなかの短歌のいくつかが、数年前にツイッターでよく流れてました。そのときに千種さんの名前を覚えたのです。

 

「中東短歌」をはじめ、これまでの作品をおさめた「砂丘律」、装丁のこだわりも話題になっていますね。

 

ペーパーバックみたいな雰囲気や、ざらっとした紙の質感など。今までの歌集とはずいぶん見た目が違っていて、ご本人のこだわりがうかがえます。

相聞歌、そして読点でつくる間

どんな嘘も混ぜないように歩いた、君と初冬の果樹園までを

いちじくの冷たさへ指めりこんで、ごめん、はときに拒絶のことば

世界を解くときの手つきで朝一、あなたはマフィンの紙を剥ぐ 

 *解く=ほどく

一首目は「初冬の果樹園」という設定がとても初々しい感じ。「どんな嘘も混ぜないように」という潔癖さに、相手への気持ちの強さがよく出ています。

 

二首目は「ごめん」の前後の読点によって、すこし空気が止まる感覚が絶妙です。「いちじく」という柔らかい曲線をもつ果実の感触も思い出します。イメージとか間の取り方が非常に巧みな一首。

 

三首目は朝のテーブルでの飲食の行為を、「世界を解く」という壮大な行為として描くのがダイナミックな構図でいい。(剥ぐは常用漢字で代用しています)相聞歌にもとてもいい歌が多くて、ここにあげきれないのです。

 

中東というエリアの視点をもつ歌

映像がわるいおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉にみえる

切り取ったり切り取られたり半島は大きな鋏を引き寄せて雪

エルサレムのどの食堂にもCoca-Cola並んで赤い闇、冷えてます

千種さんは現在、中東に在住。日本とはだいぶ違う気候、環境、社会的背景、宗教、民族、歴史に囲まれながら過ごす日々が短歌の中に見えるとき、独自の世界を立ち上げています。

 

一首目はシリア内戦を題材にした連作「keep right」から。大勢の人が殺されている場面が写っているのですが、粗い画像のために鮮明には見えない。大量の流血にちがいない光景を「緋鯉にみえる」という表現で掴むことで、ぞっとするような迫力を感じます。

 

二首目は数々の戦争や動乱を経験した地域の歴史を感じさせます。領土の分割のたびに翻弄される民衆や、権力者の思惑を思い返したところで出てくる「雪」の一語がとても悲しい響きを持っています。

 

聖都といわれるエルサレム、その食堂のなかにもアメリカという大国の象徴のような「Coca-Cola」がひんやりと並んでいる様子を不気味な様子で描いています。切り取り方がとてもシャープなので、社会的要素を含めながらも一首のなかにしっかりポイントがありますね。

 

印象的なつくりの歌

だとしたらたぶん悲しみ 夜明けまえグルジア映画をふたりで観つつ

で、どつちがリアルだと思ふ。ここからの街のあかりとこのたばこ火と

また言ってほしい。海見ましょうよって。Coronaの瓶がランプみたいだ

他には印象深かった、特徴的な歌を挙げておきましょう。一首目はいきなり「だとしたら」ではじまっていて、ちょっとびっくりした一首。「夜明けまえ」「グルジア映画」といった時間や観ている作品の描写を経て、また初句に戻って「悲しみ」に至るまでの心情を想像してしまう。巧妙なつくりになっていると思います。

 

二首目もかなり大胆な初句の入り方。緊迫した情勢の街を抱える権力者と、その秘書官の立場で描かれた興味深い連作「或る秘書官の忠誠」のなかの一首です。「街のあかり」という遠景と「たばこ火」という近景がリアルさで対比されているという視点が実に怖い。

 

三首目はとても好きな歌。上の句は575で区切ると「また言って/ほしい。海見ま/しょうよって。」となるのですが、句点を使ってそのリズムを崩しているんだと思います。切々とした気分を感じて、上の句は一息に読んでしまった。「Coronaの瓶」が「ランプ」というあたたかなイメージと結びつくとき、来るのかどうかわからない未来への希求、といった感覚を受け取りました。

 

初句の切り出し方や倒置、句読点など巧みに一首のなかで使われていて読み応えのある歌集です。表現方法などこれからも模索していかれるだろうから今後どう磨きがかかっていくのか、本当に楽しみな歌人です。