波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

一首評 「コード」

イヤフォーンのコードを指に解くときひとは敬虔の表情をせり

         大辻 隆弘   「ナックル」 『景徳鎮』 

 

イヤフォーンのコードのからまりは

どこか植物の蔓を思わせるときがあります。

細いコードがからまっている状態を指にとり、

するっとほどく時、どこか祈りに通じるような

つつしみ深い表情になることを観察しています。

単に物体としてのコードだけでなく、

わだかまりとむきあう精神性を感じる仕草です。

ちいさな仕草の中の別の一面をすくっている

その視線の鋭さを思います。

 

一首評 「水」

思い通りに生きることなどできなくて誰もできなくて水を分け合う

       松村正直「花火大会」 「星座」2017年初菊号 P8  

結社誌「星座」を拝見する機会があり、その中から。

・・・「星座」ってさ、結社誌っていうよりも

どこかの短歌総合誌みたいな作りですね・・・・。

 

花火大会についての7首で構成された一連でした。

この歌が一番、印象的でした。

初句からさらさらと続いてそのあとに

四句目の「誰もできなくて」があるから

強い印象が残るのでしょう。

8音の字数でゆったりした感じが漂います。

「できなくて」のリフレインに

ずっしりした重さがあります。

 

思い通りに生きられないのは

自分だけでなく、水を分け合う相手も

同じであること。

「水」というもっとも身近な液体を

親しい人と分け合うことで

異なる人とのつながりみたいな感覚を感じます。

塔2017年10月号 5

ゆびさきに罅をなぞりて遠雷の まだだいじょうぶひとり諾う   神山 倶生   P162

「遠雷の」で宙ぶらりんになった感じがして

そこで立ち止まります。

指先で細かい罅をなぞっている仕草から

「遠雷」という語が出てきたのか。

細かい罅や遠雷はなにか不吉な予感がしますが

下の句は自分自身に言い聞かせているのでしょう。

「ひとり諾う」まで言わなくてもよかったかな、とは思いますが。

床下に秘密の中華料理屋ができたかと思うほどの暑さよ   伊地知 樹里    P163

これは面白い発想。

夏の暑さを詠む歌は多くあると思うけど

この歌のように詠まれるとなんだか新鮮。

火力をたっぷり使う「中華料理屋」という点がよくて

これはほかの料理店ではだめなのでしょう。

ちょっとびっくりするような発想ですが

納得はできます。

遠いこと気がついてから星のことあなたは星と呼ばないのでしょう  中森 舞   P167

さらっと詠まれていますが、ちょっと苦味や切なさのある歌です。

かつては「あなた」は星について語っていたのかもしれないけど、

今となってはもう星と「呼ばない」という。

星はきれいなイメージが強いけど、実はとてつもなく遠いもの。

この歌に詠まれているのは、

なにか思うようにいかない現実に気がついた、

という意味かなと思います。

バイクごと水路に落ちた夜を父は星座をつなぐみたいに話す   白水 裕子   P171

けっこうな事故だと思うのですが

その顛末を、「星座をつなぐみたいに話す」という表現が面白い。

あんまり深刻にならずに

どんな話しぶりなのか、読んでいる間に想像してしまいます。

「星座」という知っている人でないと

見出せない形や美しさを持ってくることで

事故を直接経験した人の感覚を

出している点が特長です。

 

 

 

ふー。なんか10月はけっこう時間がかかりました。

なんだかんだで我ながらよく続いているな、と思います。

塔2017年10月号 4

萎れゆくことと閉じゆくことの差異、朝顔の花は昼をゆれつつ   中田 明子  P114

日没の10時間後くらいには開花する朝顔

そして、日中の暑さによって水分をとられてしぼんでいきます。

朝顔のフォルムの変化に萎れることと、閉じることの差異を

感じている主体。

上の句が少し理屈っぽいかな、とは思いますが、

下の句に柔らかさがあっていいなと思います。

「昼をゆれつつ」で昼という時間帯の長さや

広がりがあって、「昼にゆれつつ」よりいい。

また「ゆれつつ」で「ゆれる」より動きがあります。

手袋をくるつと引つくりかへすやうに私のゐなくなる日も来なむ      加茂 直樹    P114

「来なむ」の意味は二つを考えました。

「来」の未然形+願望を表す「なむ」で

「来てほしい」という意味。

もうひとつ、「来」の連用形+確述「ぬ」未然形+推量「む」で

「きっと来るだろう」という意味。

毛糸で編まれた手袋をひっくり返す仕草、

なんだか懐かしいな、と思いました。

本来は手を覆う側である内側をくるっとひっくり返すということは

いつも見えていた外側が隠れるということ。

そのようにいつか自分自身がいなくなる。

さりげない仕草から、いつか来る日を導いています。

あばら骨の浮きたるダルメシアンが行くこの世の水を搬び出すごと   福西 直美     P115

誰かに飼われていただろうダルメシアンが、

いまやせ衰えて「あばら骨の浮きたる」ほどだと言う。

その痛ましい姿を「この世の水を搬び出すごと」とすることで

とても重々しい雰囲気が伝わっています。

なにかこう最後の役目、みたいな感じがして

やせこけた犬と水の重さが、読んだあとに印象に残ります。

死ぬのかと思う職場を出た後の透明さにて街を歩けば    田宮 智美     P126

いきなり初句、二句で「死ぬのかと思う」とくるので

ぎょとするけど、そのあとがなんだか悲しい。

一日中、職場で働いて、そのあとには「透明さ」があるという。

そのまま死ぬんじゃないかという気持ち、

充実感とか達成感にはほど遠い感情です。

「思う/職場を」と二句の途中で句割れしている点も

緊張感のある作りになっています。

細き雨に百花ほど咲くクチナシの言いたいことならいくらでもオレは    大野 檜 P133

「細き雨に百花ほど咲くクチナシの」は

下の句を導くための序詞かな、と思います。

たくさんの花をつけて咲いているクチナシ

その名前とは対照的に

主体には言いたいことがたくさんあるみたい。

細い雨、たくさんの白いクチナシ、といった景色と

言いたいことがあるのに言えない、

なにかもどかしい心情とが対比されています。

いいさしで終わる点も、言いたいことがあるけれど‥

という雰囲気を伝えます。

ひとつづつさくらんぼに種 ひとりづつひとは向き合ふ種のをはりに    栗山 洋子  P143

採用されている8首を見ていると、

どうも近所の人からさくらんぼを摘ませてもらったらしい。

それも喜び勇んで、という感じではない。同じ一連に

摘む家族ゐなくなりたるさくらんぼ摘ませてもらふのも「ボランティア」  栗山 洋子

といった歌もあります。

さくらんぼを植えた人は、本当は自分の子供や孫に摘んでほしくて

植えたのだろう、と思います。

でもいま、なんらかの事情で家族がいなくなり

主体が代わりに実ったさくらんぼを摘んでいる。

その状況を踏まえて今回の歌を読むと

単にさくらんぼを食べて、その種を見ているのみならず

家族といった単位の終わりに向きあっている、といった風にも読めるのです。

コートからはみだす足がこいでいる春のつめたい風をまわして    吉岡 昌俊    P157

たぶん主体が、自転車をこぐ人を見かけたのでしょう。

まだ寒い3月の光景かな、と思います。

コートからはみだす足のペダルを踏む躍動感、

その周りで動く春の空気、

確実に変わっていく季節のなかで

勢いのある歌になっています。

塔2017年10月号 3

お元気そうと言われて一旦停止する気持ちを端から三角に折る   丸本 ふみ  P62

お元気そう、と他人から言われても

案外そうでもないと主体はわかっている。

「一旦停止」はやや硬い言葉ですが、かちっと固まった感じが出ます。

「三角に折る」という点が面白く、

ちょっと納得いかない気持ちを自分の内面だけで

処理しようとする描写としてうまいと思います。

これが「少し折る」ではだめだし、「四角に折る」でもダメ。

「三角」という尖った破片のようなイメージを持っているから

いいのでしょう。

真心を運べと書かれたマニュアルの真心の文字角張っている   北山 順子  P78

配達についての一連になっていました。

配達のマニュアルに載っている「真心を運べ」の文字、

その文字が角張っていることにきづいた主体。

「真心」というと普通はあたたかいもの、ふんわりしたもののように

思いますが、ここではかっちりとした書体に注目して

通常のイメージとのギャップが出ています。

わたすげのこぼるる風に銀色の電車涼しく曲つてゆけり     福田 恭子   P89

「わたすげ」は7月くらいに見られる、白い綿毛が印象的な植物。

ふんわり柔らかい綿毛や風の動きのなかを

電車が走る光景を美しく詠んでいます。

電車なのに「涼しく」曲がる、という描写が面白いところ。

「銀色」という車体の色もあって、

「涼しく」という言葉が出てきたのかもしれない。

すっとなめらかに曲がっていく電車の動きや

車体に沿う光の動きがイメージできます。

ねえ君と僕は似ているみたいだね煮干しを置いた路地裏の隅   濱本 凛   P106

「煮干し」という言葉に立ち止まってしばらく考えていたけど、

この「君」は猫だろうな、と気づきました。

ちょっと顔見知りになった猫に煮干しをあげようとしているのかもしれない。

「路地裏の隅」でこっそり仲良くなったんだろうな、とか

思いつつ猫に親近感を抱いている様子を思います。

猫とははっきり出さずに想像させたのがいいな、と思います。

塔2017年10月号 2

二人きりで生きてきたとでもいふやうに父と母ゐて墓買ひしを言ふ   小林 真代    P24

「二人きりで生きてきた」ということはないはずだけど、

でもそのような雰囲気でいる両親。

子にあたる主体にしてみたら寂しいし、奇妙な感じだろう。

「墓買ひしを言ふ」は年老いた両親の締めくくりなんだろうけど

それにしても寂寥感がある。

ゆうぐれの御箪笥町に雨の降る濡れゆくシャツの透きとおるほど

 *御箪笥町=おたんすまち        谷口 公一      P25

「御箪笥町」とは面白い地名だな、と思いましたが

江戸時代に武器を扱った箪笥奉行に由来する町名なんですね。

面白い由来を持つ町にかなりの雨が降っているみたいで

「濡れゆくシャツの透きとおるほど」で

その激しさがわかります。

雨に濡れた布の感じが目の前に浮かんで

夕暮れの街に重なるので、とてもきれいな幻想を見ているようです。

レモン色のバスが町へと走りゆき炎天の道路ひとすぢ光る       林 はるみ   P34

まだ暑い夏の最中の光景です。

「レモン色」という表現がとてもきれいでさわやか。

強い日差しの中でバスの色がよけいに強く印象に残ったようです。

「ひとすぢ光る」がよくて

バスの車体のフォルムが光を反射しながら

走る様子が浮かびます。

つきとばすは月とバスに変換され夏の眠れぬ夜を照らせり        白水 麻衣      P40

夏に寝苦しいのか、なんだか眠れない。

眠れないときにスマホをいじりだして、

文字を入力していたときに奇妙な変換になってしまった。

「つきとばす」は突き飛ばす、だったのだろうけど、

「月とバス」になってしまった。

蒸し暑い夏の夜におこった小さいミスなのだけど、

月の光や夜道を走るバスがイメージとして浮かんで楽しい歌。

ちょっとどこかに旅に出たくなるような雰囲気を持っています。

見えぬものは見えないままにそのひとの海の暗さを告げられている     大森 静佳    P52

「そのひとの海の暗さ」は相手の内面の傷とか

普段は隠している気持ちだろうと思います。

いまはっきりとは理解できないままに主体は

だれかの内面の暗さを黙って聞いている。

他者の抱える深い暗さは、そう簡単に見えないもの。

「見えぬものは見えないままに」はちょっと不気味で

でも仕方のないこと。

黙って聞くしかないシーンだと思います。

塔2017年10月号 1

塔10月号には興味深い評論が載っていました。

大岡信の書籍について3人の評者が書いていました。

私が特に興味を持ったのは沼尻つた子さんによる

『うたげと孤心』に関する文章でした。

ちょっと読んでみたくなりますね。

では月集から。

死者が手を洗えるごとき水の音トンネルのなかに広がりゆきぬ   吉川 宏志  P2

廃線を歩いたときの歌らしい。

「死者が手を洗えるごとき」という比喩がやはりいい。

人気のない薄暗い廃線

その不気味さやすたれた感じを伝える言葉だと思います。

「広がりゆきぬ」がトンネルの中にいる感じが出ていて

たしかに音が響く様子がわかります。

いま、その場にいなくても、まるでそこに自分もいるかのように

読者に思わせるのも描写の力の表れです。

宙に跳び地に落ちるまで熱き熱き薬莢は陽に美しからん     三井 修    P3

武器にも武器特有の美しさってあります。

この歌では、薬莢が撃たれて空中を跳ぶ様子を

スローモーションのように描いています。

短い時間のなかで

熱を帯び、光を反射しているだろう薬莢。

ごく小さなパーツを

存在感をもって描いています。

東入ル西入ル上ル下ルなり今日も飛び交ふ京の燕は     上田 善朗     P6

「東入ル西入ル上ル下ル」は京都の地名によく使われています。

碁盤の目と言われる街ならではの住所の記載だな、と

感心したことがあります。

人だけでなく燕が飛び交う様子につなげたところが面白く

町家の間を燕がせわしなく飛んでいる光景が思い浮かびました。

半分を剝き終へて何かくるしくて林檎の白き肌のなかに   *肌=はだへ   

         梶原さい子     P7

林檎を剥いているときの歌ですが、

半分くらい剥いたところでちょっと手を止めたのでしょう。

赤い林檎を剥いていくことで現われてくる白い果肉、

それを「白き肌」としたことでなんだか

生々しい感じもします。

結句を言いさしで終えているので、

読者もそこですこし立ち止まる感じになります。

余韻のある終わりかたになっていると思います。

鏡池に夜ごと映りし月の縁かじって魚は肥えてゆくのか  *縁=ふち  

          土屋 千鶴    P11

「鏡池」って面白い名前ですが長野県にあるんですね。

池の水面に映る月の端っこに

魚が口を出しているのでしょう。

「月の縁かじって」がユーモラス。

パクパク口を動かしているから

出てきた表現かな、と思います。

動きがイメージできて楽しい歌です。

その幹の白さは死者の素足のようしっかり掴むことはできない   藤田 千鶴  P13

ひとつ前の歌から察するに白樺かな、と思いますが

白樺の幹の白さって独特だったなと思いだします。

「死者の素足のよう」がちょっと怖い比喩で

樹なのにあの白さは確かにそうかも、と思います。

手を触れて掴む、ということをためらうほどの白さを

脳裏に思い浮かべながら味わう歌です。

感情はときにわれより長身で水楢の若葉ふれながら行く     山下 泉   P15

水楢の木立を歩いているときかな。

「感情はときにわれより長身で」という表現がとてもよくて、

感情が主体を抜け出して、樹に触れているという発想が楽しい。

樹々のもとにいるときの気持ちの良さや爽快感を

のびやかに詠んでいる歌です。