波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年9月号 2

眉間より息吐くようなオーボエの奏者に銀の嘴の見ゆ    山内 頌子   P24

「眉間より息吐くような」という比喩に迫力があります。

また「銀の嘴」という表現が面白く

銀色のキイがたくさん並んでいるオーボエの隠喩だと思いますが

「嘴」という言葉で

奏者が楽器と一体になっている感じがあって

演奏者をよく見ているな、と思います。

あと五分で来るはずのバスが来ることをラッキーというこの街の人   ダンバー悦子 P25

作者はニューヨーク在住の会員の方です。

なにをラッキーとするか、でその人の価値観ってわかりそう。

「あと五分で来るはずのバスが来ること」を

ラッキー、って言えるのは

とてもささやかだけど、貴重な価値観かもしれない。

待っている 窓が汚れていくように眠い感じがここに来るのを    上澄 眠    P27

初句切れ、倒置でけっこう大胆な構図の歌になっています。

「窓が汚れていくように」で次第に、仕方なくやってくる感じがします。

眠気がやってくるのを待っているだけの内容ですが

構造や比喩、「眠い感じ」「ここに」などの言葉の選び方で

単調にならない工夫があって目に留まります。

鶏肉にゲランドの塩を振るごとき言葉をかけて子を送り出す    橋本 恵美   P37

比喩が面白い一首です。

ゲランドの塩はフランス・ブルターニュ地方の塩。

(塩って種類や産地によって味わいが違いますよねー)

肉の旨みを引き出すにはとてもいい塩なので

その塩を「振るごとき言葉」ということは

お子さんになにか持ち味を発揮できるような励ましの言葉を

かけたのかな、と想像します。

説明を省きつつ、ちょっと楽しい比喩がいきています。

宙に浮く感じでひとつひとつ咲く紫陽花だったきみとの日々も    大森 静佳  P37

たっぷりとボリュームのある紫陽花だけど

「宙に浮く感じで」ということは案外

儚い、不安定なイメージ。

確かだと思っていたかもしれない「きみとの日々も」

結局は危ういバランスの上にあった、と気づいたんじゃないだろうか。

「宙に浮く/感じでひとつ/ひとつ咲く」と

二句から三句にかけておかれた「ひとつ/ひとつ」が

紫陽花のふっくらしたフォルムが集まっている様子を

ふんわりイメージさせてくれます。

逢ふと縫ふいづれも傷をつけてをり女のもてるいつぽんの針    澄田 広枝     P38 

 

美しい雰囲気をもちながら、すこし残酷な歌。

「逢ふ」と「縫ふ」という漢字の似ていることから発想して

いづれも傷をつけてをり」という表現が面白い。

細い針で布を縫っていくことは同時に傷をつけていること。

会いたい人に会いながら、どこかで傷をつけているという昏さが

印象に残ります。

塔2017年9月号 1

眠りいる間に外れしイヤホンゆ車内にゴスペル滲みていたり   三井 修   P3

電車とかバスなど公共の乗り物のなかでのことかな、

とおもって読みました。

だれかが耳につけていたイヤホンが外れて、

乗り物のなかに「ゴスペル滲みていたり」という状況になっていた。

流行りの曲ではなくゴスペルという荘厳なイメージがいいな、と思います。

「イヤホン」という現代的なアイテムと

上代の格助詞「ゆ」の組み合わせも面白い。

イヤホンという小さなアイテムから外の世界に向かって

届く音楽のふわっとした広がりがある歌です。

あれくらいと半分の月指させり恋の終わりを子は話しつつ    前田 康子    P3

「あれくらい」とは何のことかな、と思って読んでいくと

年ごろの娘さんが母親である主体に失恋を打ち明けているシーン。

好きだったものの、終わってしまった恋のことを

「半分の月」に例えるところがとてもいい。

聞いている主体にも、自身の青春時代の思い出がいろいろあるわけで、

思いだしている部分もあるかもしれない。

「半分の月」を介して、親子の会話を描いているところが

シンプルに見えるけど、とても巧みだと思います。

見つめてる目のむこうにも羽ばたかせたいのに鳥をうまく言えない  江戸 雪   P4

誰かと対話しているシーンだと思います。

相手に伝えたいイメージがあるのだけど、

なかなか上手く言えなくて、伝わらないもどかしさかもしれない。

説明せずにイメージを描いている歌なので、

多少解釈が分かれるかもしれないけど

鳥の飛翔と相手との対話を結び付けていて、

これはこれで面白い描きかただと思います。

飯茶碗の縁にするどく親指をかけつつ食うを横目に見おり    永田 淳    P4

最初は食事中の息子さんの食べかたかな、と思いました。

もしかしたら定食屋さんとかで全く知らない人を見ているのかもしれない。

「飯茶碗の縁にするどく」といったところに

切羽詰まったような、焦るような食べ方が浮かびます。

主体はその様子を「横目に見おり」なので、

気にはなるけど、伺っている距離があります。

ふたたびを水になれざる水達のかたちであらうあぢさゐの花    大橋 智恵子  P6

たくさんの水滴があつまったような形状から

「水達のかたち」という表現はたしかにそうだな、と思いました。

紫陽花の雰囲気をよく伝えている歌です。

「ふたたびを水になれざる」というところに

ひとたび決まった生はもう変えられない、という重みがあります。

 

一首評 「物語」

烏瓜の揺れしずかなり死ののちに語られることはみな物語    

        松村正直 『風のおとうと』

松村正直氏の第四歌集。

今わたしが一番気合い入れて読んでいる歌集と言っていい!

 

今までの歌集のなかの歌の変化を思いながら

ゆっくり読んでいます。

 

烏瓜というと、赤い実を思い浮かべます。

秋から冬にだんだんと熟して赤くなる烏瓜。

寒い季節の中、烏瓜が静かに垂れているその景色を描いてから

死ののちの時間に転じています。

「物語」という名詞がとても印象的です。

誰かが亡くなった後に話題にするのは

その誰かがもういない、という事実のまわりで

紡がれる覆いのようなイメージかもしれない。

死という絶対的な事実のあとには

感覚が変わるのかもしれない。

 

時間の経過のなかでいつしか変わっていく感覚、

そんな歌が多いかもしれないと思いつつ読んでいます。

塔2017年8月号 5

ふたひらの羽があるから蝶々は自由なのだと思い込んでた    八木 佐織     P160

蝶々の軽やかさから思い込んでいた自由だけど

そうでないと気づくことがあったのでしょう。

蝶々のことを詠んでいながら、

主体の内面を見つめなおす歌になっています。

僕たちが存在すると云ふ事の意義を問ふため咲けアマリリス    宮本 背水  P161

ちょっと硬い感じもするのですが

「咲けアマリリス」という強めの結句に惹かれます。

マリリスは主張の強い色やフォルムをしています。

花に問われる存在意義というのは

どれほどのものなのか、

「咲け」という命令形が出てくる背後には

案外もろい部分があるように思うのです。

もう逢はぬひとの名前と同じ文字エンドロールに流されてゆく    川田 果弧  P169

映画の最後に流れていくエンドロールに見つけた

「もう逢はぬひとの名前」。

まさにその人物なのか、同姓同名なのかで

歌の味わいがけっこう変わります。

かつて大事だったかもしれないその人の名前を

「同じ文字」としたところに年月の経過があります。

塔2017年8月号 4

この道をムスカリ咲くよ踊るほどさみしい春もムスカリ咲くよ    吉田 典   P112

「踊るほどさみしい」という表現がとても印象的。

春だからわくわくするような気分になるかというとそうでもなく

むしろソワソワして寂しいくらいという。

ムスカリは葡萄の房みたいな形で、青い色がきれいな花。

道に沿ってたくさん植えられているのかもしれない。

落ち着かない気持ちの表現として

おもしろい描きかたをしています。

階段はちひさく螺旋を描きつつ雨音の濃き二階へつづく    石松 佳     P113

「雨音の濃き」と言われると、確かにそうかもしれないと思います。

階段で二階に上がっていくときのちょっと不安定な感じが出ていて

ちょっとしたスケッチのような歌になっています。

里にまた緑のひかりは巡りきて高さ違える水張田の空   *違える=たがえる    岡村 圭子   P114

水張田は苗を植える前の水を張った田んぼを指すらしく

空や風景を映して鏡みたいになっています。

また美しい景色を見る季節になったことがさりげなく詠まれています。

「緑」「巡り」「水張田(みはりだ)」といった

マ行の音+「り」の音がとても心地いい。

「高さ違える」という把握がとてもよくて

田んぼの位置の高低によって

映っている空の位置に差が出ているのでしょう。

的確な描写によって毎年見ている風景を切りとっています。

自分から言い出す誕生日のように降り始めた雨だから濡れたい     鈴木 晴香    P 117

相手から興味をもって聞かれたのではなく、

「自分から言い出す誕生日」というのは

なんともしっくりこない感じが残ります。

そんな比喩で詠まれた雨は

たぶん望んでいる天気とは違うのでしょう。

「濡れたい」という結句まで詠んだことで

雨に打たれる悲しみ、冷たさまで伝わります。

嘘ならばさいていな嘘、嘘でないならさいていなひとだよ四月     田宮 智美   P122

一連を見ていると、どうも転勤で自分から離れていった人に向かって

言っているようです。

果たして言われた言葉は嘘だったのか、そうでないのか、

確かめることはできないのかもしれません。

「さいてい」とひらがなで2回使われているところが

とても強い印象になっています。

「四月」で終わる結句も効果的で

人間関係が変わっていく季節の

一コマとして、とても印象深い歌です。

寄り道が時間つぶしでなかつたころ渋谷の街はラメの輝き       木村 珊瑚     P 127

寄り道をしていたころ、渋谷に行っていたみたいですが

主体にとって決して「時間つぶしでなかつた」といいます。

たしかに寄り道だったとはいえ、

ちゃんとした意味があったことを懐かしんでいるようです。

細かい説明をせずに「ラメの輝き」としたことで

その場所、時間、思い出などが

キラキラした輝きを纏って見えます。