波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評「電車」

夏へ向かふ電車とおもふきみでなき人に会ふために駆け込んだけれど

染野太朗「求職者給付」『初恋』P19

退職して久しぶりにハローワークに来ている、そんな夏。所属すべき組織や職種がない状態は、なんとも中途半端。

 

現実としてはどこかに向かうため、だれかに会うために電車に駆け込んだ。少なくとも「きみに会う」ための移動ではない、とわかっている。

 

乗り込んだのは「夏へ向かふ電車」、場所というより季節そのものに向かって走る。

 

下句が8音、8音になっていてちょっと重たい感じ。そのモタモタした音の感じから、あれこれ考えてしまう思考のクセに繋がるのかも。

 

「けれど」という逆接で一首は終わっています。「けれど」の後には、現実ではない願望がくるのでしょう。例えば、きみに会いに行けたらいいのに、といったような。

 

なかなか断ち切れない思慕の感情は苦しい。苦しいまま「夏」という光の季節に向かってしまう。電車の速さのなかで「夏」に向かって進むしかない。そう考えるしかないのかもしれない。

 

『初恋』のなかでは、「夏」と「きみ」が繰り返し詠まれています。けっして叶わない恋の相手としての「きみ」、日の強さや海の輝きが眩しい「夏」。

 

抑えがたい感情を抱えつつ日々を過ごしていくしかない、そんな歌集ですが、不思議と美しい瞬間があるのです。