波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年6月号 3

ほんとうにさびしいときはさびしいと言わないものだ素数のように   福西 直美    75

ひらがなをたっぷり使って詠まれた歌ですが
とてもしんとした感覚です。
本当のさびしさの中にいるときの心理と
素数」を重ねるところに惹かれます。
「さびしい」「さびしい」「素数」と、
三度だけ繰り返される「サ」行の音が、
歌全体に鋭さを与えるのに一役買っています。

窓ごとの夜に明かりを灯しつつ特急列車は水辺を走る     紀水 章生    79

この歌のなかの「窓」は特急列車の窓だと思うのですが、
列車にあるたくさんの窓そのひとつひとつに
夜がある、というのは面白い把握です。
「水辺」の水にも列車が反射していて
たくさんの光が流れていくように見えると思います。

一片の悔いがあるかは知らんけどその死に様に既視感がある      吉田 恭大  85
              (「吉」は上が土の「吉」)

「知らんけど」というちょっとぶっきらぼうな言い方が目に留まりました。
他者が死んでいくシーンに対して評価を下している、という
とても突き放したドライな感覚です。
どこかで見たありふれた死、という感じで
現実ではなくてどこか芝居のなかみたいな感じがします。

三月の雨の匂いは沈丁花 たがいに傘をかしげる路地の  山川 仁帆    94

春先の穏やかな雨のなかに
沈丁花の強い香りが混じっているのでしょう。
雨の匂いや沈丁花の香りが混沌となっていて
実際にその場にいるような気持ちになります。
狭い路地を通るときに通行人同士で
ちょっと傘を傾けてすれ違うシーンなので
とても狭い空間のなかに
音、匂い、人の気配などいろんな要素が感じられます。

返し縫いおそわりし日のかえされた縫い目のように雪の翔りくる   

*翔りくる=ふりくる   篠原 廣己    112

長い比喩ですが、雪の降ってくる様子の描写に
幼いころの思い出が描かれていて、情感のある歌です。
「返し縫いおそわりし日の」から
教えてくれた人のことも思いだすわけで、
そこにどんな感情があったのか空想が膨らみます。
雪の降るさまを詠んだ歌は多いですが
この歌では主体だけの思い出が重なっていて、
味わいがあります。

塔2017年6月号 2

ゆび差すという暴力に耐えるごと満月、春の空にかがやく      白水 麻衣     24

月という唯一の美しさは、つねにだれかから見られるもの。
特に満月となると余計に目立つ存在。
「ゆび指す」という行為を「暴力」としている点がとても強くて、
美しい存在がもつ魅力と同時に、危うさみたいなものを感じます。

雪柳のふぶくを見てをり名歌とは目方のあると思へて来たり     左近田 榮懿子    24

美しい曲線と、たくさんの小さな白い花が印象的な雪柳。
風に揺られている様子もとてもきれいです。
下の句では「名歌とは目方のある」という
主体の気づいた考えにうつっています。
「目方」でとらえる視点が面白くて、
長らく残っていく歌の中の
どこかで揺るがない重みをイメージします。
風に吹かれて揺れている雪柳の景と
主体の心情とが合わさって、美しく、興味深い一首になっています。

アスパラガスきらいなきみのアスパラガスだまって食べる顔が好きなり    山下 裕美    37

お子さんかな、と思ったのですが、
アスパラガスを嫌いでも食べてはくれるようで
もくもくと食べているのでしょう。
その食べているときの顔を見つつ
その表情が好きだと思っている主体がいます。
アスパラガスの2回の繰り返しで
軽いリズムができています。

火に針を炙りて棘を抜いてくれたあなたがいない春が来ました    吉川 敬子       40

以前、同じ作者が夫を亡くした時の歌を引いたことがあります。

塔2016年12月号 2 - 波と手紙

亡くなった後に夫を思いだすことがしばしばあるのでしょうけど
「火に針を炙りて棘を抜いてくれた」とは
とてもささやかな日常の思い出です。
そんな小さなシーンが故人の人となりや雰囲気を
実に鮮やかに伝えてくれます。

面接の一度きりかもしれぬ町少女に混じり揚げたてコロッケ     江種 泰榮     40

面接に行ったけど、もし不採用ならその町にくることは
もうないかもしれない。
その町の少女に混じって食べる「揚げたてコロッケ」も
一度切りの味かもしれない。
面接が終わった後の疲れとか手ごたえとか
今後の予定とか、あれこれ考えるかもしれないけど
つい買い食いしているシーンを描くことで
妙に共感してしまう歌です。

夕景にクレーンがひとつ立っている諦めがついたような角度で     関野 裕之    41

無機質なクレーンを見ながら、人間の感情を重ねています。
クレーンの曲がり具合を
「諦めがついたような角度で」とすることで
生きていない物体にも
なにかぬくもりが生じるようです。

ほぼすべて意図することは届かないあんずの花があかりにひらく    荻原 伸     43

意図することは届かないことの方が多い。
いつからか知ってしまう諦念を
また確かめるような内容です。
あんずの花は春先にかわいい花を咲かせます。
「あかりにひらく」で灯るような印象があります。
最初は諦めている歌かな、と思っていたのですが
わずかに届くこともあるだろう、という希望を
詠みたいのでは、と思い至りました。

まづ沈みそれから浮くと金魚の死を記憶の底から言ふ人のあり     小林 真代    45

金魚の小さな死の様子を語る人を詠んでいて、
「記憶の底から」にすごみがあります。
もしかするとかなり前のことで、
記憶を掘り起こして語っているのかもしれない。
一度沈んでから浮く、というプロセスを語ることで
生きものの死の描写に迫力が出ています。

ファスナーを開けゆくやうに水鳥は修法ヶ原の池に水脈ひく      *修法ヶ原=しおがはら    渡辺 美穂子   52

美しい情景が思い浮かぶ一首です。
水鳥がすーっと水面を移動していくときに出来る水脈を
「ファスナーを開けゆくやうに」とすることで
映像のような景色を楽に思い浮かべることが出来ました。
シンプルな比喩ですが、俯瞰している視点が加わって
広々とした景色を描いています。

 

塔2017年6月号 1

2週間くらいほったらかしにしていたな・・・・。
本は読んでいたのに。
「塔」も今年の半分が届きました。

 

庭土にソラ豆の芽の並びをりよく笑ふ子の乳歯のごとく     栗木 京子     2 

とても素朴な歌でいいな、と思いました。
「ソラ豆」というカタカナ混じりの言い方がなんとなく
たどたどしい感じです。
小さな子供の乳歯、とても具体的で素朴なたとえが
生きている歌です。

へいわのいしずゑといふ言説のひとばしらのごときひびきをあやしむわれは   真中 朋久    3 

普通はひらがなの多い歌は、ふんわり柔らかい印象になることが多いのに
なんだろう、この不気味さは・・・っていう感じの歌です。
犠牲になった人をときおり
「へいわのいしずゑ」という言い方をすることがあります。
でもその中に、「ひとばしらのごときひびき」を見出して
警戒や疑いの念を抱いている。
88677という形で上の句がとても大幅な字余りになっています。
ぬるぬるとした不気味な雰囲気が全体から出ていて
思わず目を留めてしまう歌です。

 もどらないボートのようにバゲットがパン屋にありて夕闇は来つ        江戸 雪  3

パン屋に並んでいる細長くて硬いバゲット
「もどらないボート」に例えることで
街角の見慣れた風景にもうひとつ別の世界が立ち上がります。
「夕闇」が迫る時間帯だからこそ
「もどらない」という哀愁や切羽詰まった感じに合っています。

 生卵六つ冷えゆくそれぞれにひつたりと春の指紋をつけて     梶原 さい子      7

冷蔵庫に並んでいる卵が6つ、ひんやりと冷えていく。
冷蔵庫に移すときについた主体の指紋だと思うのですが
「春の指紋」としたことで
とても儚い印象を背負っています。

乳がんの痛み知るゆえ遺族らが胸元避けて入れる花々      貞包 雅文     9

これは痛ましい歌。
通常のように顔周りまでしっかりと花で埋めていくのではなく、
あえて胸元を避けて花を並べる行為にも
亡くなった方をしのぶ遺族の心理がよく出ています。
初句、二句がやや説明的な感じはしますが
とてもいい視点だと思います。

夕映えのジムの硝子に映りゐる無数の脚が湖へと駆ける       辻井 昌彦         11 (「辻」の字で代用しています)

 ジムってガラス張りになっていることが多いようで、
近くを通るとトレーニングしている様子が見えることがあります。
主体もたぶんジムの近くを通ってトレーニングしている人たちの
たくさんの脚が同じ方向に向かって動く様子を見たのでしょう。
レーニング中の人たちに、「湖へと駆ける」という意思はないけど
主体の目という観察を通して、
ジムの風景にドラマをもたらしています。

一首評 「栞」

卓上の本を夜更けに読みはじめ妻の挾みし栞を越えつ       
         吉川 宏志 『夜光』 

 

吉川宏志氏の名前を記憶した歌といえば
たしかこの一首だったと思います。
何年も前、まだひとりで短歌を詠んでいるときに
大型書店で立ち読みした短歌関係の雑誌の中にありました。
特集内容や本文そのものは忘れているけど、
引用されていたこの短歌は覚えています。
静かな世界だけど存在感のある歌、という印象でした。

夜遅くに卓上に置かれていた本を読みはじめ
けっこう読み進んで妻が挟んだ栞を越えてしまった。
内容はささやかだけどやはり巧みな歌だと思います。

同じ空間に住んでいる身近な相手だけど
他者である「妻」が挟んでいた栞を越える。
一冊の本を介して
作者と他者の関わりがなんとなく見える気がするのです。
「越えつ」という強い響きをもつ完了の助動詞で
締めくくることで、引き締まった感があります。

塔2017年5月号 5

モアイ像のすすり泣くがに稀勢の里壁に向かひて肩を震はす    坪井 睦彦   168

たぶんテレビ画像を見て詠んでいると思うのですが、
「モアイ像のすすり泣くがに」という比喩によって
映像をそのまま写したような歌にならずに仕上がっています。
「モアイ像」という意外な物体をもってきたユーモアがいいですね。
画面からは表情が見えないだろう稀勢の里の心情を表現しています。

寒の日のオリーヴオイル黄濁し手には負へないをみなみたいだ     山下 好美      168

寒くなると、オイルの壜の底の方に
黄色い沈殿物ができることがあります。
なんだかどろっとした沈殿物は
オイルのいつもとは違う様子として奇異な感じ。
その様子を「手には負へないをみな」に例えています。
気ままなのか、怒りっぽいのか、頑固なのか、
やっかいな女性のタイプをあれこれ考えてしまいます。

トチノキの芽のふくよかなふくらみに春立ちてなほ遠き春思ふ   千葉 優作  *思ふ=もふ 177

トチノキの芽はふっくらしていて
美しい柔らかい緑色の芽を見せてくれます。
上の句のたっぷりとしたひらがなのやわらかい印象で
春らしい雰囲気も出ています。
主体は春を感じているけど、
「なほ遠き春」に思いをはせています。
まだ春のほんのはじめを切りとっていて
みずみずしい一首です。

オリオンの三つ並んだ星たちの距離と思えり三姉妹とは    魚谷 真梨子         177

オリオン座の有名な三つの星。
三姉妹の関係や距離感を
オリオン座の星に喩えている点が面白い発想です。
等間隔に並ぶ三ツ星、
適度な距離を取れるようになった三姉妹を表すには
ぴったりの表現なのかもしれないですね。
倒置して、結句で「三姉妹とは」と明かす方法も
効果的な工夫だと思います。