手紙たくさん書くさびしさを愛と呼ぶつがいのナイフ水に沈めて
東 直子「つがいのナイフ」『青卵』P20
最近、東直子さんの『青卵』を文庫本で購入して、読んでいました。
やわらかい文体のなかにも、どこか不穏な感覚や怯え、ゆらぎのような感覚が満ちていて、何度読んでも魅力的な一冊です。
この一首は、食後に使った食器類を洗っているシーンかな、と思っています。「つがい」とあるので、ペアになっているナイフや食器類でしょう。
2人分の食器なのだけど、作中主体にとっては相手とは少し気持ちに距離がある感じです。
「手紙たくさん書くさびしさ」を愛として認識することは、満ち足りない思いを抱えて、相手にぶつけているということでしょう。
欠けている、なにか足りないといった気持ちが「たくさん書く」という行動につながっていて、少し痛ましい。
寂しさに耐えきれない気持ちとはかみ合わない「つがいの」しかも鋭利な「ナイフ」だからこそ、ほんの少しの怖さや不安、恐れといった気持ちを想像してしまうのです。
「水に沈めて」というのも、単に洗っているからというよりも、もう少し不穏な感じ。
やりきれなさや焦りといった感情を、説明するのではなくて「感じさせる詠み方」もあるんだ、と示してくれた歌のひとつです。