波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年3月号 5

塔3月号はこれで終わり。若葉集から。

チェロに掛けた指がかすかに寒さうな音楽会の案内とどく      岡部 かずみ    P168

「音楽会の案内」を見ていて
「指がかすかに寒さう」と気づく。
演奏者の写真が使われているのかなと思うのですが
指の様子が微かな震えを思わせたのかもしれない。
指への細やかな注目が
単なるお知らせであった「音楽会の案内」に
生身の人間の感覚が潜んでいるように思わせます。

月の光ひとすじ水面に射し込めるごとくに冴ゆる真夜の鋏は    *光=かげ   杉原 諒美   P173

鋏はそれだけでも鋭利なイメージですが
「真夜の鋏」となると、とても冷たい輝きを持っています。
「月の光ひとすじ水面に射し込めるごとくに」で
「真夜の鋏」が持っている冷たい美しさを的確に描写しています。
「ひとすじ」ということは、鋏は閉じた状態なんでしょう。
物がもつイメージの描写は
どれだけよく見るか、どこまで書き込むかで
大きく仕上がりが変わっていきます。

ヘリウムは二番目に軽い 一番じゃなくても空は飛べるってこと    山口 蓮    P177

ヘリウムは風船を浮かせるための気体。 
「一番じゃなくても空は飛べるってこと」という発想を導くために
初句と二句はあるのでしょう。
軽妙さは現実への皮肉とか反論として有効な方法の一つだと思います。
この歌はそんなに皮肉っぽい感じはしないけど
さらっと軽く歌っていながら、
一番ではないことへの肯定が見て取れます。

マイナスな出来事ひとつルートして二乗したなら愛が生まれる     濱本 凛   P178

濱本さんの短歌のなかでは
知っている語を無理なく短歌のなかに詠みこんでいます。
「i」は、二乗することでマイナスになる虚数
この歌ではそれを「愛」と読み替え、
日常のなかで起こるネガティブな出来事を
「ルートして二乗」という数学にあてはめてから
「愛が生まれる」という結句に着地しています。
学生生活で出会う語を、ロマンティックに詠み
一首に仕上げる着想に惹かれます。

塔2017年3月号 4

水槽のタイルの目地が揺らぎゐて豆腐屋の手が絹こしをすくふ    清水 良郎   P138

昔ながらの豆腐屋さんで、きぬこし豆腐を買っているところ。
たしかにタイルの水槽になっていたな、と思います。
「タイルの目地が揺らぎゐて」という水のなかの揺れを
丁寧に描いていて、見ている景色を的確に伝えてくれます。

おとがひに湿地のあれば友の待つ夷坦へ行けぬ けさのひげそり      東 勝臣     P140

朝に髭剃りをしているシーンで
あごひげを「湿地」と表現しているのが面白い点です。
「夷坦」はちょっと難しい言葉ですが
平らな土地という意味です。
身だしなみを整えて友人を訪ねるためのプロセスを
土地のイメージに発展させることで
日常のなかに豊かなイメージをもたらしています。

曲がり角だったのだろう山茶花の白が車窓より消えつるときも   横田 竜巳  *車窓=まど   P150

廃止になるバス‌に乗っているときの一連でした。
二句目までの「曲がり角だったのだろう」で興味をひいて
そのあとに見えなくなっていく山茶花を描いている倒置が効果的です。
山茶花の白」という点も細やかな描写です。
「消えつる」は「消ゆ」の連用形+完了の助動詞「つ」の連体形。
「つ」はどちらかというと人間の意志に基づく動作に使うことが多いので、
「消えぬる」の方が適切かもしれません。
あとは「車窓」に「まど」っていうルビはどうかな、とも思います。

キャラメルの箱にしまってふたをしたひと駅ぶんのみじかい眠り    上澄 眠       P153

上澄さんの歌も面白い発想の歌が多いです。
なじみ深い「キャラメルの箱」にしまうのは
「ひと駅ぶんのみじかい眠り」。
「ひと駅ぶん」という描写がよくて
短い時間の表現として
実感がわく描きかたです。

 

塔2017年3月号 3

人参の皮のあたりにある夢がスープのいろを濃くしておりぬ     澤端 節子   P67

スープの中で柔らかくなっている人参、
「皮のあたりにある夢」というとらえ方が面白い。
たぶん皮は剥かれていると思うのだけど
人参に「夢」が残っていてスープの色に
反映されている、というと
ちょっとおろそかに飲めない気がします。

待てばいい花のある部屋は眩しくてもうどんな事にも傷つかない    福田 恭子   P98

「もうどんな事にも傷つかない」は
強くなった、というよりも
すでになにか深いダメージを負ってしまって
感覚がマヒしたせいではないだろうか、と思います。
「もう」という2文字が入っていることで
とても強い決意を感じさせます。
その一方で、「花」といういつかはしおれて枯れていく
存在があることで、その決意の脆さをも感じます。
「待てばいい」では何を、誰を待っているのか
「花のある部屋」がどこなのか
わからないけど近寄りがたい眩しさとの対峙
だと受け取りました。

菊のかたちに花火開きてそのけむり菊のかたちのまま流れゆく     加茂 直樹   P114

花火のかたちが「菊」というと
幾筋もの線状の花火だったのかな、と思います。
この歌のなかでは花火そのものよりも
花火にともなう煙のかたちに
より注目しています。
無常な一瞬を描いています。

町名がここより変はる自転車をよけつつ冬の橋を渡れば     森永 絹子   P125

橋から先は別の名前を持つ町。
「自転車をよけつつ」という実感のある描写がいいな、と思います。
まだ寒い冬の空気のなかを歩いて
別の空間に入っていく途中の描写を
丁寧に描いています。
「橋」というつなぎ目としての場所も面白くて
橋のフォルムと移動の途中にいるというイメージが
合っています。

塔2017年3月号 2

塔3月号の作品1から。

沈黙が答ではないあとすこし言葉澄むまで待つ冬隣      石井 夢津子    P23

沈黙している時間は考えている時間。
「言葉澄むまで待つ」で自己の中の気持ちを
しずかに見つめている主体なのだろう、と思います。
「冬隣」という冬の訪れを感じさせる語も効果的で
空気の澄んでいく様と結びついています。

薄き鬢さむくあらぬか五千円札のをみなに鰤を買ふなり     清水 弘子     P27

「五千円札のをみな」は樋口一葉
短い生涯を終えた一葉の「薄き鬢」への着目が面白い一首です。
手元の五千円札から助詞「に」で
鰤を買うシーンにつなげています。
「に」は「によって」という意味だと思いますが
すこし強引な使い方で
結句の動作に落とし込んでいます。

次次にうどん屋できて客足のしばらく乱れまた治まりぬ      橋本 成子     P30

新店舗がオープンすると、新しい店に行くお客さんが増えるけど、
しばらくするとそれぞれのお気に入りの店が定まって
また客足が落ち着くという期間をコンパクトに収めています。

うつくしく生きる/死ぬ 吾の本名の美の字は線対称に書かれる     沼尻 つた子    P38

沼尻さんの詠草は全体を通して
しっかりしたテーマを毎回持っているように思います。
今回は塔の会員で他界された方を
しのんで詠まれた歌のなかの一首です。
他者の死を聞いて、いつか自分にもやってくる
死を意識せざるを得ないときがあります。
本名のなかにある「美」という字の
フォルムの美しさに触れながら
果たして「うつくしく生きる/死ぬ」ができるかどうか
自問自答したのではないでしょうか。

レシートにユキの表示あり小麦粉の「雪」と分かるまでの数分          上大迫 チエ  P43

レシートを見ているといろんな発見があります。
この歌のなかでは「ユキ」という表示から
「?」と思ってから具体的な商品に思い当たるまでの
数分間を詠んでいます。
小麦粉の「雪」は日清フーズの小麦粉ですね。
この歌に詠まれているのは
日常のとても些末なことなのだけど
些末なことが十分面白い作品になるのが
短歌の興味深い点です。

萩に雪 ここを遠くに目覚めたるきみのひとりを大切にする     山内 頌子    P49

初句切れで大胆に景色を提示してから
心情に移る構造が潔い歌です。
「きみのひとりを大切にする」はすこし難解ですが魅力的です。
きみというひとり、なのか
きみのなかのかけがえのない部分なのか?
「ここを遠くに」だから離れているのかもしれない。
とても繊細な感覚が漂っています。

 

 

 

塔2017年3月号 1

塔3月号を読んでいきましょう。
まずは月集から。

息子には息子の闘い 冬の野の遠いところで尖りゆく見ゆ    吉川宏志

自立していく年齢の息子を父親が遠くから見ている歌。
「冬の野の遠いところで」という描写が映像かイメージの世界みたいです。
「冬の野」で厳しい状況にいることはわかるのですが
それ以上に「遠いところで尖りゆく」という語によって
異質な存在になっていく息子の様子を
鮮やかに描いています。

「いつも来る年寄りのひと」と父を呼び母の話の辻褄は合う    前田康子

病気の母親がもう配偶者のことも把握できなくなっている状況。
娘である主体にはつらい状況でしょう。
でも「辻褄は合う」というところに複雑な気持ちを感じます。
わたしの祖母も晩年は
記憶があいまいになっていったのですが、
年老いるって残酷な部分があって、
どんどん欠けていくプロセスでもあるのだろうと思います。

子と暮らす残り時間を思いつつ卵焼き作れば子は喜ばず   松村正直

こちらはまだ自立には時間がある息子さんがいる家庭です。
ちょっと難しい年ごろなのか、
「子は喜ばず」といった状況。
ここで「子が喜ぶ」といった
ありがちな〈いい話〉にしないあたりが
ちょっとした日常の描写として味わい深いところです。
「卵焼き」というなじみ深い料理がいいな、と思います。

弁当に梅干しひとつナースらのドキュメンタリー的食堂の昼   松木乃り 

最後にはまた雰囲気の違う一首をあげておきます。
病院の食堂でお昼ご飯を食べているナースの様子を見ていたのか
「弁当に梅干しひとつ」というとてもシンプルな弁当から
「ドキュメンタリー的」という締めくくりになっています。
ちょっと意外な現実を見てしまった、という感じがあって面白い。