塔に掲載された時評とか書評などの感想を、ときどき書いていってみようかな・・・と思います。
1月号は、誌面時評(2ヶ月前の塔の企画や内容を振り返る評)の担当者が変わるタイミング。2021年1月号からは浅野大輝さん。適任だな、と思います。
さて、2021年1月号の誌面時評で取り上げられているのは、2020年11月号における「【平成短歌を振り返る】を書いて」座談会と、評論の書き手を育てるという課題について。
浅野氏は、【平成短歌を振り返る】企画の評価すべき点と、なお残る課題についてコンパクトに指摘しています。
問題点としては以下の点があります。
- 【平成短歌を振り返る】方式ではコスト面などで、評論の書き手の育成体制の拡充することが難しい。
- 編集部が育成対象の選定を行うような形になってしまうのは、あまり好ましくない。
その上で提案されているのが、以下の2点。
- 評論執筆初心者のための入門的記事の掲載
- 評論を批評する場を作る
浅野氏の指摘はもっともだと思うし、評論を書くことのハードルを下げるためにも、提案されている内容が実現するといいな、とは思います。
ただ一方で、次のような考えかたも紹介しておきたいのです。
私は絵を描くことがあるのですが、イラストを描く上で上手い人にアドバイスを求めたら、指摘されたことがあります。
「よく○○が描けるようになるには…と言って技法やノウハウを集めている人がいるけど、まずは描いてみることが重要なんです。
もちろん、今の画力で描ける内容には限りがあり、出来としては不十分だと思うでしょう。
とりあえずざっと描いてみて、足りない部分をどんどん足していく。完成に近づける。そのプロセスを踏むことです。」
これはイラストやドローイングに限った話ではないと思います。
評論でも書評でも、敷居が高いと思っている人は多そうですが、とりあえず書くことで、自身の課題が(イヤでも)見えてくる。
そこからさらに欠けている部分を埋めていく。
可能なら、書いた文章を身近に読んでアドバイスしてくれる先輩や友人がいると、なおいいですよね。
まさにそういう先輩や友人を作る場として、結社をもっと活用できるんじゃないかな・・・と思うのです。
雑誌や結社誌に掲載されている時評や書評って、どのくらい読まれ、また話題にされているのでしょう?
短歌や連作を読む会だけでなく、時評を読む会なんていうのもあってもいいとは思うのですが。なんらかの反応がある方が、書き手にも刺激になるとは思うし。
すでに評論など書けて当たり前の人に、こんな話は不要かもしれませんが。
でもまぁ、塔の誌面を読んで考えたことは、たまにこのブログにも残しておきましょう。
(今後できたら続けていきたいのですが、気まぐれな更新になると思います・・・)