秋空に襞なすごとく雲は伸び思いは北のあなたへ向かう
*襞=ひだ P11
松村氏の短歌のなかでは、「此処にいない人」「ここではない場所」を慕って詠む歌に印象的なものが多い。
高い秋空に広々と広がる面状の雲。「襞なすごとく」は細やかなプリーツみたいな形状の雲の描写であると同時に、人間の内面の気持ちの襞と呼応します。
「紫のひと」は松村正直氏の第五歌集。
いままでとはちょっと違う印象の歌集になっています。
私は、かつて塔誌上で、松村氏の第四歌集「風のおとうと」の評を書く機会を頂いたことがありました。その時のポイントは、以下の点でした。
・日常のなかのなにげないアイテムをすこしちがう角度から描いてみせる。慣れ親しんだ日常から一枚、ヴェールをはがすような感じ。
・人の心理の奥深さや裏側をさらっと描く。普段はあえて見ないふりをしていることや、他人に言わずにいることを、ちくっと刺すように描く鋭さ。
・(家族の病気など)ドラマ性の高そうな出来事からあえて少し距離を取って描いてみる。出来事の輪郭を描きとめる傾向がある。
今でも、松村さんの短歌の要素は、そんなに大きくは変わらないと思っています。
その一方で、「紫のひと」を読んだときの印象は「いままでとは少し違う感じ」でした。
前からあった
・人間関係の繊細さや脆さを描く
・虚構と現実のバランスの巧みさ
という点に加えて、
・やや艶っぽい
・歌のなかに余白を生む描き方が巧み
などの点が印象的でした。
「紫のひと」の中から印象に残った歌を取り上げ、特徴を考えてみます。
他者との関係の曖昧さを掬う
手をつなぐ遠いひかりは海だろうこんなに近く僕はいるのに P41
それが問いであるか答えであるのかは、岩礁に立つ白き灯台 P46
やがて告げてしまうであろう一言が波打ち際をまぶしく跳ねる P47
また少し時の密度が濃くなって次に言うべきことばに迷う P48
「海と飛行機」
近い距離にいるけど、他者と繋がるというのは難しいもの。
他者との関係は、どこかしら脆いもので、どう接したものか迷っているような心理が見て取れます。
「それが問いであるか答えであるのか」「次に言うべきことばに迷う」など、あいまいな距離感や関係性の危うさを感じさせます。
近くにいても気持ちが通い合っているとは限らないのは人間同士の常ですが、その複雑さや微妙さを繊細に書き留めています。
この点は「風のおとうと」でもしばしば、見受けられました。
相手の感情と自己の感情
今きみがほんとにきれい感情を失くしたような横顔をして P96
あふれ出てゆっくり零れる水のつぶ見ており君の正面にいて
P107
感情が昂っただけ、泣いてない、泣いてないよと言いつつ笑う P108
近くで見ている相手の横顔、ときには泣き顔。相手の感情が激しく揺れたときも、見ている主体はわりと冷静そう。
他者に対して、近くで「見ている」「観察している」姿勢を前から強く感じます。
そして本歌集では、親しい人との距離感の描き方が、ときおり、より強い側面を見せます。
抱くことも抱かれることも秋だからつめたい樹々の声にしたがう P125
にんげんの身体にも波があることのふたり波打ち際をあわせて
P186
ただ距離を取って見ているだけでなく、もう少し踏み込んだ関係の描写を増やした感があります。
性愛を感じさせる歌が思いのほか多いのも、この歌集の特徴かもしれません。
抱き合うことを「秋だから」とは奇妙なつなげかたですが、「樹々の声にしたがう」で自分ではコントロールしきれない切迫感や衝動を感じさせる描き方。
「ふたり波打ち際をあわせて」で、自分に内在する「波」を他者と合わせることで自分と他者の接する官能性を思わせます。
変わっていく母への態度
「僕の言うことならたぶん聞きます」と医師には言えり母の居ぬ間に P18
困ってることがあったら言ってよね困っていても困るのだけど P162
大丈夫だからだからと言う母の、だから青葉の増えゆくばかり P163
だんだんと老いて病気になる母親を詠んだ歌も歌集中には多くあります。
遠方に住んでいるため会うまでには時間がかかること、次男坊という立ち位置からの視点が特徴になっています。
一首めの「母の居ぬ間に」という結句で、息子とのいままでの雰囲気や距離感がなんとなくうかがえます。母親の老いに向き合うなかで、変わっていくこと、変わらないこと。
ほかに取り上げた歌は、どちらもリフレインの工夫がある歌です。
「困ってることがあったら言ってよね」は気遣いからいう言葉。そこからつなげる「困っていても困る」という本音。
現実のセリフと内心での本音とのギャップに、母親にしてあげられることの少なさや自身のふがいなさなど、軽みのある文体にのせて詠まれています。
「大丈夫だから」と心配される側が言うのもよくあるパターン。そうはいっても周囲が心配すべき点は増えていく。
「だから青葉の増えゆくばかり」という描き方は初夏にしげる青葉の増えゆくさまと重ねつつ、心の中に増えていく不安や戸惑いを思わせて印象的です。
これからくるだろう老いの困難さや、今まで知っている母親とは違う状態になっていくだろう予想を内心では感じながら、あまり直接的に暗さや困難を詠まない仕上がりになっています。
まとめ
「自分と他者との距離感」は、松村氏の短歌を読み解くうえで重要なキーワードだと思っています。
近くにいるけど、安定しているわけではなくて、やや儚い関係性を描き出します。
「紫のひと」のなかでは、今までとは違う自分の描き方に挑戦しているようです。
舞台や設定は仮想や虚構であったとしても、歌のなかに込められている気持ち・心情はリアルなので、読者は歌のなかに入り込めるようになっています。
一方で、現実における親の介護や老いの問題は、あまり深刻に描きすぎないことで、窮屈さや重々しさを回避しています。
このあたりのバランスの取り方によって、不必要に描きすぎない余白が生まれているのではないだろうか、と思うのです。
いままでの蓄積ももちろん随所にあるのですが、感情の揺れぐあいや内面の惑いといった、いままでとは違う感情の動きに注目してみたい歌集です。