波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

松村正直 『午前3時を過ぎて』

今回取り上げるのは松村正直氏の『午前3時を過ぎて』です。

 

以前とりあげた『やさしい鮫』から約8年、端正な文体がさらに深化したという印象です。

 

(諸事情あって、前の記事を再投稿しています・・・)

 

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さりげない描写で表す日常の歌

橋の上にすれ違うときなにゆえに美しきかな人のかたちは   P22

 

すれちがう人の多さが春である疎水のみずを渡りゆくとき  P27

 

新春の空の深さをはかるべく連なる凧を沈めてゆきぬ    P81

 

ひとすじの滴のごとく青き空より垂れながら窓を拭くひと  P170

 

春の字のなかに日の差すやさしさの京都三条小橋を渡る   P190

 

日常のさりげないシーンのなかから、見落としそうな発見を描きとめるのは本歌集でも健在。さらに視点が鋭くなったと思います。

 

一首目、橋のうえで交差する人の重なりという小さな接点の美しさを捉えています。

 

二首目は一首目からさらに踏み込んで描いています。お住まいのエリアから考えて琵琶湖疏水かなと思うのですが、新入生や新社会人が通っていく春という季節の更新が浮かびます。

 

三首目、「新春の空の深さをはかるべく」という上の句が優れた描写です。空高くのぼっていた凧がするすると降ろされていく情景が浮かび、それが「空の深さをはかる」動作であるという指摘に、人間の視点を離れた感覚を感じます。

 

四首目、ビルの窓掃除というありふれた光景をとらえていながら、詩的な美しさがあります。

 

五首目には「春」という語のなかの「日」という部分をとりだして、日常の風景につなげていく巧みさがあります。

 

「あ、なるほど。そういう風に見たのか」と、読者である私は感心しつつ、その把握の的確さを楽しむことができるのです。

 

家族など身近な人たちの歌

なにゆえに青き空より落ちてくる雨として君はわれを濡らしき  P35

 

両脚に保湿クリーム塗るひとを見ており遠き対岸として    P35

 

窓ガラスに映るあなたはあなたよりやや年老いて全集を読む  P135

 

ベランダに鳴く秋の虫 夫婦とは互いに互いの喪主であること  P161

 

 一首目、「われを濡ら」す君の存在はかなしみなのか、潤いなのか・・・。

 

二首目、近い距離にいるはずの人なのだけど「遠き対岸」であるという認識のひんやりした感覚は、前の歌集からひきつづき存在します。

 

三首目、「窓ガラスに映るあなた」への着目が、単純に相手を描写するよりずっといいと思います。同じ人物が映っているはずなのに、「やや年老いて」という奇妙さ。ガラスを使っての二重の「あなた」の描写が、気持ちの屈折を示しているようです。

 

四首目、「秋の虫」の情景と、いつか「喪主」を務めるもの同士であるという認識の冷たさが一字あけをつかって結びついています。

舟のうえに眠るがごとき子の姿うすき毛布をかけてやるなり   P66

 

そこにだけ光がさしているようなあなたのなかの中庭が見ゆ    P126

一首目、「舟のうえに眠るがごとき」が的確な描写です。「舟」という頼りない乗りものの選択が効いています。

 

二首目、これはとても好きな歌で印象的です。「あなたのなかの中庭」という描写は静謐で、そのまま見ているだけにしておきたい美しさがあります。 

死を思わせる歌

生前に続く時間を死後と呼ぶ咲ききわまりて動けぬ桜     P48

 

 結局自分で見つけるよりほかないのだと桜の幹を見上げて思う P49 

 

薄日さす葉桜の道 死ののちに生前という時間はあって    P171 

 

舞いあがり火の粉は夜の風に乗る たぶん静かであろうあなたは  P 225

歌集のなかには、ひとの死や終末を予感させる歌が多くて、それはあとがきのなかでも明かされています。

 

いつか自分が死んだあとにも残っていく言葉を思い、

作者が死ぬことによって初めて、歌集の中の言葉は自由になるのかもしれない。      P229

という文章があります。

 

死といういつか必ずくる現実を境にして隔てられる時間、作者が亡くなった後に印象がかわっていく言葉。そのこだわりがとても強く出ています。

 

最後の「舞いあがり」の歌は、連作の冒頭の歌からして、河野裕子さんの死を扱っているのだろうと思います。見送る側の視点に気づいたとき、倒置でおかれた結句の重さが印象に残りました。

 

まとめ

静かな達観や諦観を前から感じていましたが、本歌集にもその気配が強く存在しているようです。

 

身近な人への接し方も、日常の風景へのまなざしも、観察が的確でどこか醒めた部分がある。いつかくる自らの死にさえも、静かなとらえ方があります。

 

と同時に、心情も確かに存在しているので、読んでいて引き込まれます。

 

両方のバランスの巧みさは、本歌集でいよいよ明らかになったのではないかな、と今にして思います。