自暴自棄になりてようやくかがやけるこころなど春の発見として
内山晶太 『窓、その他』
新年最初の投稿は、一首評から。最近読んでいた一冊で、『窓、その他』から。
「自暴自棄」からはじまる歌ですが、その後の展開では、その中で「かがやけるこころ」を見つけたことが詠まれています。
「自暴自棄」というほどなので、相当に荒れた心理のはずですが、しかし「ようやく」見つけた「かがやけるこころ」。
これは単に目の前の問題が解決したとか、気持ちが落ち着いたとか、そういう分かりやすい話ではないのではないか、と思っています。
捨て鉢になるほどうまくいかない現実や、自分へのいら立ちの果てに、いままでとは違う自分の奥深くの一部に気づいたのではないでしょうか。
輝いているからといって、必ずしも美しいとか立派とかいう言葉がふさわしいのかどうか、わかりません。
「かがやけるこころ」とわざわざ平仮名で書いているためもあって、なんだか特殊な鮮やかさを思います。
「自暴自棄」の状態をくぐらない限り、おそらく知り得なかった輝きやその光なのでしょう。
ささやかかもしれないけど、気づいた輝きに「春の発見」という言葉を与えることで、見つけたものを手放さない、という意思の表れのようです。
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2020年が始まりました。いろんな変化がやってきそうなので、気持ちを上手に切り替えていきたいところです。
短歌もさらにいい歌を詠めるように、頑張ってみます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。