河野裕子さんはとても著名な歌人ですが、2010年に乳がんのために他界されています。
具体的な闘病の様子については、ほかの著作により詳しく書かれています。
「たとへば君」では、ご夫婦の最初の出会いのころや結婚した後の生活、子供の誕生、アメリカでの生活、癌の発見、再発、最期の日までの間に詠まれた短歌と河野さんのエッセイによって構成されています。
河野裕子さんと永田和宏さんご夫婦の間にはいわゆる相聞歌といわれる短歌がお互いに500首くらいはあると言います。
お互い歌人だから、といえばそうなのだけど、奇妙な感じもしますね。ずっと同じ家で暮らしていて毎日顔を合わせる相手と、歌で気持ちを伝えあっている・・・。
短歌をまったく詠まない人からすると、「え、わざわざ・・・・?」とか思う人もいるかもしれません。いくら顔を見て話す機会が毎日あるとはいっても、気持ちの奥底というか本心、本音というのはなかなか言いにくいもの。
特に河野さんに乳がんが見つかってからの日々、気持ちのなかに渦まく感情や葛藤をそのまま言っていいものか、言うとかえってよくないんじゃないか、どういったらいいのかよくわからない・・・ということの連続だったのでしょう。
岬は雨、と書きやらんかな逢わぬ日々を黒きセーター脱がずに眠る 永田和宏「黄金分割」
もうすこしあなたの傍に眠りたい、死ぬまへに螢みたいに私は言はう 河野裕子「体力」
君がいつか死ぬとうことを思わざりき思わずきたり黄あやめのはな 永田和宏「華氏」
何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない 河野裕子「日付のある歌」
ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど 永田和宏「風位」
今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて 河野裕子「庭」
われのひと世にもっとも聡明にありたしと願いし日々を君は責むるも 永田和宏「後の日々」
乗り継ぎの電車待つ間の時間ほどのこの世の時間にゆき会ひし君 河野裕子「葦舟」
遠浅にひとり浮き身をするやうなさびしさはもう嫌なのだ人よ 永田和宏「夏・二〇一〇」
死ぬな 男の友に言ふやうにあなたが言へり白いほうせん花 河野裕子「葦舟」
歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る 永田和宏「夏・二〇一〇」
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子「蝉声」*蝉で代替
今回読んでいて、目に留まった歌を引いてみました。
まだ病気が見つかるよりも前に詠まれた歌のなかにも、いつかどちらかが先に死ぬことを考えた歌もありますが、それは本当にずっとずっと先の話としてのもの。
毎日一緒に住んでいるから一緒にいるのが当たり前みたいにおもっているけれど、家族の死はいつやってくるかはわからない。
配偶者の死も、いつかは来るだろうけれど、ふだんの生活のなかでは特段、意識もしない。
おもわぬ病気が見つかったとき、そして別れが現実味を帯びてきたときの不安や動揺をどうやって相手に伝えるのか、はたして伝わるのか、毎日のように顔を合わせていても、どれだけ伝えたことになっているのか。
もしかしたら伝える術がわからないままお別れがくる家族もいるかもしれない。
言えない、あるいは言いづらい本心や、普段の日常の会話では伝わらないことを託すには短歌がふさわしい形だったことが読んでいるうちに、なんとなくわかるかもしれない。そう思います。
詠んでいる最中、どれほどつらかったかと思うと、これらの歌のなかには痛ましい感覚があるのですが、おそらく時間が経てばたつほどに「この歌がなんとか残ってよかった」というような感覚、存在の重さが増してくると思うのです。
河野さんにも永田さんにもたくさんの歌集があるので、また改めてゆっくり歌集を追っていきたいと思います。