波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2019年3月号 3

今日は雨でした。雨滴に濡れている花もきれいだった。

少しくらいの雨なら嫌いじゃないです。

 

 

階段を走っておりる若猫の背中の肉の動くを愛す
山名聡美    P64

なんてことない日常のなかの一コマですが、猫の走る様子が目に浮かびます。

「若猫の背中の肉の動くを」という表現が面白く、しなやかな体つきや素早い脚の動き、背中の肉の盛り上がりなど猫という動物のいろんな要素がぱっと浮かびます。

まだ元気がある若い猫のやわらかい動き、躍動感を想像してちょっと嬉しくなる一首です。

黄のなかの点が雲雀であるゆゑに冬の画廊を立ち去りかねつ
高野岬    P75

画廊で絵を見ていて、不思議と気になってしまう絵に出会ったのでしょう。

「黄のなか」というのは、だんだんと暮れかけている空の色ではないかな、と思います。黄色のなかに小さく描かれた雲雀は、絵画のなかでは小さな「点」に過ぎない。

ごく小さな描写なのに、その細部が気になって身動きが取りづらい。ちょっとした気がかりや心配事のように、雲雀という小さなものがちらつくように感じるのかもしれません。

「冬の画廊」であることも印象的で、静かな季節であるからちょっとした気がかりともいえる雲雀の描写が生きてくるのではないかな、と思います。

さみしさにかたちなきまま南下する列車に南下のためのねむりよ
浅野大輝     P79

けっこう長い距離を列車で移動するのではないかな、と思います。「南下」とわざわざ言っている以上、なにかしら目的があって遠方まで向かうのでしょう。

作中主体が感じているさみしさには、はっきりとした形がないままですが、感じてはいる。

長い移動の最中、列車のなかでうとうと眠ってしまうけど寂しさを抱えたままの眠りは、なんだか不安定で儚い眠りではないかな、と感じます。

「南下のためのねむり」は目覚めたあとの現実に向けての小休止なのでしょう。 

辞めればいいのに辞めればいいのにと呪いつつ働けばたぶん呪われている
かがみゆみ    P92

働きにくそうな職場だな・・・・。掲載されている一連を読んでいると、どうも同じ職場には合わない人がいて、その人のことを「辞めればいいのに」と作中主体は内心では思っているみたい。

相手に対して呪詛の言葉として内心で言い続ける「辞めればいいのに」。初・二句のリフレイン、「呪う」のリフレイン、それが作中主体の中のわだかまりを実感として伝えてくれます。

でも同時に、作中主体もどこかで呪われる側にいるし、しかも自分で自覚している。相手への気持ち、自分が他者から呪われる存在であること、ぐるぐると職場のなかで答えのでにくい関係を繰り返す鬱屈さのある一連でした。