波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2019年1月号 1

今年も新しい表紙の塔が届きました。ちょっと和風のテイストで、素敵。


色使いや省略されたデザインがいいな、と思います。

 

さて、あんまり時間がないので紹介する歌はちょっと少なめです。

 

来るよピタッまた来たねパタッ窓の辺におさなごと居て見てる雨だれ     山下 洋    P9

日常のちょっとしたシーンの歌です。雨の日に窓辺で雨だれを聴いています。会話のなかに「ピタッ」「パタッ」といった雨だれの音を途中に挟んでいて、リズミカルで楽しい歌です。


さいころは雨だれの音ひとつに、なにかしら楽しさを見出すことができるものです。

 

窓辺で一緒に座って、雨だれの音に耳を傾けているだけの時間なのだけど、ちょっとした時間の共有が後々にまで残っていくこともあります。

 

微笑ましい時間の共有を、楽しい工夫で切り取っています。

 

黒目がちなチャバネセセリがあらわれて寂しい私を遊んでくれる      前田 康子   P9

チャバネセセリは茶色っぽい蝶。夏から秋にかけてよく見かける蝶です。


名前を意識したことはないけど、わたしもどこかで見ているはず。


写真を検索したら、たしかに黒っぽい目が目立ちます。なんだかじっと見られているみたいな目です。


この一首の中の「寂しい私を」の「を」という助詞に、惹かれます。忙しい日常のなかで、すこし疲れているのかもしれない作中主体は、目の前を飛ぶ蝶になんだか和んでいるのでしょう。


「遊んでくれる」という動詞も興味深く、人間より蝶のほうが余裕があるみたいな印象さえ持ちます。つかの間の休息としての時間の流れがあります。

 

かもめかもめテトラポットに休みをりわれより若き義母の二の腕    義母=はは   亀谷 たま江    P13

海辺にいるかもめを眺めているシーンから、今度は義母の身体へのクローズアップに切り替わります。


「かもめかもめ」とおおらかな雰囲気から、急にもっと身近な距離にいる相手への注目へ。


二の腕はけっこう注目してしまうパーツです。季節は夏だろうから、余計に見てしまったのかもしれない。


義母という親族としての関係と、その一方で「われより若き」というところになんだか距離をちょっと感じます。


義母との関係が具体的にどんな関係なのか、ちょっと把握しかねる面はあります。


主体の配偶者の母親なのか、主体の父親の再婚相手なのか、それとも義母という単語そのものがなにかの比喩なのか。


ただ、相手とのすこし複雑な心情とか、距離感とかを感じます。爽やかな夏の空気や海辺の雰囲気と、なんだか屈折した感情の混ざった歌です。

 

池水を突き破り跳ねる鯉一尾 くるしいのだらう輝きながら     河野 美砂子    P14

池の周りを歩いているときに、ちょうど鯉が水面から出てきたのでしょう。


魚が一尾、飛び跳ねているさまは優雅だれど、どこかに苦しさを感じている。


陽の光を受けながら、なめらかな曲線を持っているフォルム。


ほんの一瞬の動きではあるのだけど、鮮烈で見るものの気持ちを引き寄せてしまうのでしょう。


きらきらしていて、美しいのにどこかにやりきれない苦しさを感じ取ってしまう。


他者にはどうにもできない、そのもの固有の要素ってあります。鯉一尾のことでありながら、もっと他のイメージをも感じ取ります。