うすいグラスにいつも危機はありいまは逢ふ前の君に救はれてゐる
林和清 「みちのくの黒い墓石」『去年マリエンバートで』
ブログを書く気がなくなってしまって、1ヵ月くらいほったらかしにしていました。
気が向いたときに、ときどき記事を更新してみます。
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久しぶりの一首評は、最近、読んでいた歌集「去年マリエンバートで」から。
全体として死とか危うさの気配が強い歌集でした。
うっかりすると割れてしまいそうな、うすいグラス。
きれいだけど、とても脆いものの象徴のようです。
「いつも危機はあり」で、「いつも」という以上は、前から、そしてこれからも「危機」が存在しているのはもう、決まっている。
過去から未来への時間のなかで、作中主体が感じ取っているのは「いま」の時間のこと。
「逢ふ前の君に救はれてゐる」とは奇妙な感じですが、実際に会う前のイメージみたいな部分によって、どこか自己の精神が救われている、ということかもしれません。
実際の時間の流れとはべつに、作中主体のなかにある過去の時間の流れ・イメージを感じて、二重の時間の感覚にすこし混乱してしまうのです。
それは悪いことではなくて、現実の時間の流れとはべつに精神のなかに、過去やイメージを持っていることはよくあること。
作中主体の中と外に流れる時間の差を取り込んでいて、一首のなかに時間の厚みや重なりを生み出しています。