6月18日に発生した大阪北部の地震によって被害に遭った方々に、
お見舞い申し上げます。
私が住んでいる場所もけっこう揺れました。
幸い、ライフラインの復旧が早くて、予想していたよりも
早く日常の生活に戻ることが出来ています。
当日やその後も、SNSなどで心配してくれた方々、ありがとうございます。
塔の選者のかたや会員の方に、大きな被害がないことを願うばかりです。
さて、6月22日には大阪・中之島公会堂で歌会が予定されていて、
前から参加は決めていました。
ただ、地震の影響で中止かな、とも思っていました。
主催している江戸雪さんに聞いてみたら、予定通り行うとのこと。
参加しようかどうしようか、ちょっと迷いました。大きな地震のあとって、
1 余震の危険がある、むやみな外出は控えるべき
2 なんとなく後ろめたい、気持ちの面で動きにくい、
といった傾向があります。
まぁ1はもちろん、警戒しないといけないのですが。
2は人それぞれなので、無理に参加する必要もないし、
かといって行きたい人が我慢する必要もないだろう、と思います。
東日本大震災のときも、「とても短歌を詠めない」
という声がわりとあったようです。無理もないかな、と思います。
ただ、その一方で詠んでいる人たちもいて、その作品にも優れた作品はありました。
地震などの大きな災害の後に、短歌を含めて
なにかしらの表現を行うこと/行わないこと
どちらもひとそれぞれの気持ちの形なので、
いいとか悪いとかではないのだろう、と思います。
いつも思うのは、自分がいる場所や環境のなかで、
もっともいいと思うことを行うくらいしかできない、
人間はできるようにしかできない、ということ。
私の場合は、大きな出来事の後にも、
今までと変わらずに短歌を詠んだり、イラストを描いたり、
歌会に参加したり、といった行動も変わらずに続けたいのです。
私はべつに歌会が好きか、というとそうでもないです。
もともと歌会好きであちこち参加するというタイプでもないし、
歌会に参加していればそれで歌がよくなるとも思っていないです。
歌会の会場に行けば友達がいっぱいで話が楽しい、という場でもないです。
初対面の人や、顔と名前が一致するくらいの人も多いし、
あんまり好きでない人が混じっているケースももちろん、あります。
的外れな意見にがっかりしたこともあるし、短歌と全く
関係ない話を延々する参加者にウンザリしたこともあります。
けっこう辛口の批判を口にする私は、ベテランの塔会員から
「なんだ、コイツは」みたいな目で見られて
内心で不快に感じたことも一度や二度ではありません。
それでもたまに歌会に参加しているのは、
- 優れた選者がいて、短歌のいい点と悪い点を知ることができるから
- 1首の歌に対して複数の読みを出し合うことで、ひとりで読んでいるときよりも理解が深まることがあるから
という2点におおむね絞られます。
中之島歌会は今年から始まった歌会で、まだ進め方を試行錯誤している感じです。
(時間配分って難しいね・・・)
いつもの塔の歌会とはまた違ったタイプの短歌が並んでいて、
歌の傾向が新鮮な感じがします。
もう少し発言しやすい雰囲気になるといいですよね。
できることは小さくても、私もゆるくかかわりながら、
もっと感覚を磨いていきたい。
久しぶりに中之島歌会に参加してみて、改めて考えてみたことを書いてみました。