波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2018年5月号 5

やっと塔5月号が終わる―。なんか長かった。

・・・そろそろ6月号がくるはずだけど。

ミーの毛はミーを離れて旅をする冬陽のそそぐ居間を選びて   里乃 ゆめ   P175

「ミー」は主体の飼い猫でしょう。

ふわふわの毛が居間の床にある、それだけの

光景ですが、毛が旅をしている、という発想で

面白い一首になっています。

猫は、温かい居心地のいい場所をよく知っている。

窓辺のあたたかい場所とか、風呂の蓋の上とか。

すでに猫の身体からは離れてしまった毛であるのに

まるで毛まで、居心地のいい場所を知っているみたいで

なんだか、おかしい。

冬の日中のちょっとした光景ですが

猫への愛情も感じさせる、可愛らしい歌になっています。

努力してないからダメか努力してないからダメか努力してない    小西白今日  P175

なんともキツイ歌・・・。詠まれている心情がね。

呪文みたいに繰り返される「努力してないからダメか」は

自分への問いなのでしょう。

内面に繰り返し湧いてくる疑問の先に出てくる結句は

「努力してない(からダメか)」と、

言葉が途中で切れているようにも、

「努力してない。」と言い切っているようにも読める、

興味深いダブルミーニングになっています。

悪意あるトリミングの技法を、

あえて自身の言葉に対して行うことによって、

高度な批評性を内包する一首となっています。

その奥に黄昏時を棲まわせて素知らぬ顔で食むかけうどん    はたえり    P180

うどんを食べているのは、主体本人なのか

だれか他人なのか、ちょっとはっきりしなくて迷いました。

「棲まわせて」という表現から、うどんを食べている相手の

表情を、作中主体が近くで見ているように思います。

「その奥に黄昏時を棲まわせて」という点が

魅力的で、じつは奥深いものを抱えている表情が浮かんできます。

実はなにかを知っているけど、でも「素知らぬ顔」をしながら

かけうどんを食べている相手がいる。

「かけうどん」というシンプルすぎる食べ物をもってくることで

とても大事なことを知っているのだけど

そっけない態度でいたい、という意思を感じます。

ちょっと読みに迷ったし、ひとによっては

また別の解釈も生まれるでしょう。

給餌する合図を聞けば整然とスタンチョンに入る強い牛から    別府 紘   P181

主体は宮崎県の方。

「給餌」「スタンチョン」という用語から考えると

牛の飼育をなさっているのかな。

「スタンチョン」は牛の首をはさんで安定させる

止め具のこと。

「整然と」にもうずっと飼われて、

すっかり慣れている牛の様子が想像されます。

さらに「強い牛から」というところに

牛にも序列や力関係があることをうかがわせて、興味深い。

詠まれているのは「強い牛」ですが、

列全体を「整然と」したものにしているのは、

実はその他大勢の「弱い牛」たち。

一瞬の景を支える「描かれていない部分」にこそ、

日々の営みが伺えます。