波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2018年5月号 3

帰宅したとたんに強い雨が降ってきたので

今日は運のいい日。

ほしいのはひとを嫌えるすこやかさ ドレッシングをずっとずっと振る   加瀬 はる P82

たぶん、作中主体は周りからはとてもいい人だと思われていそう。

明るくて、誰かを嫌うような人に見えないのでしょう。

でも、そうはいっても誰にでも嫌いな人っていてもおかしくはない。

「嫌える」こと、嫌悪感というネガティブな感情を持つことを

「すこやかさ」としている点で、いままでの対人関係に対して、

内面では積もり積もった不満や居心地の悪さを

感じている状態ではないかな、と思ってしまう。

手の中で「ずっとずっと振る」ドレッシング。

「振る」という液体の中身をシェイクする動きによって、

どろどろっとした内面と、そのもどかしさを自ら見ているようです。

「ずっとずっと」という繰り返しによって、

鬱屈した内面への抗いを感じます。

ああきっと雲をちぎれば一輪のラナンキュラスと等しい重さ   小松 岬     P93

「ああ」なんていう感嘆を使うのは案外、

難しいのではないかな、と思います。

感情の発露ってやりすぎるとかえって

印象を壊してしまうこともしばしば。

(私にはちょっと使いにくい語だなぁ・・・)

雲をちぎる、という空想上のダイナミックな行動から

「一輪のラナンキュラス」という身近な花への転換。

たぶんボリュームのあるふっくらした

雲だったのではないかな、と思います。

ラナンキュラスは花びらが幾重にも重なった美しい花。

手の届かないはずの雲の断片と

ボリュームのあるラナンキュラス、その相似に

気づいてしまった感慨があるのでしょう。

その感動が「ああ」という語に結びついたのではないかな。

白湯という真冬の日溜まり魔法瓶にたぷたぷ注いで仕事に向かう   杉原 諒美   P97

朝、仕事に出かける前に行う支度の一つなのでしょう。

お茶とかではなくて、「白湯」なんだな、となんだか不思議。

「真冬の日溜まり」という把握が面白い点で

寒い季節でも、魔法瓶のなかにはいつでも温かい白湯がある、

ということを作者なりに捉えている。

職場で休憩時間などに飲む(?)のだろうから

仕事の合間のちょっとしたぬくもり、といった

意味もあるのかもしれないです。

ちょっとした自分だけのあたたかさを

手のなかに収めているようで、

ささやかな満足感を感じます。

甘藍の抱き合ひて球なせる葉に指さし入れて幾度めの冬   高野 岬     P112

甘藍はキャベツのこと。こんな風に書くと、まったく違う食べ物みたい。

幾重にも葉の重なりがあるキャベツを

「抱き合ひて球なせる」と捉えた点がいいと思います。

「抱き合ひて」にちょっと迫力がある。

冬のぎゅっと葉が重なったキャベツに指を差し込んで

料理に使おうとしているのでしょう。

もう何度も冬を越すときに、同じように

キャベツを使ってきたはず。

キャベツの葉をはがす、ぎゅっと重なりのある葉を

崩していく行為のなかには、今までの冬の過ごし方や記憶を

さかのぼって思い出すような意味合いがあるのではないでしょうか。

工房をひらく朝に美しく和紙を重ねた波間を進む   *朝=あした  紀水 章生   P123

和紙の工房かな、と思います。

「ひらく」は扉をあけて工房の中に入ることだと思うのですが、

入るとかではなくて、「ひらく」という

動詞の選択がいいな、と思います。

工房のなかには大きな和紙が何枚も重なって

列をなしているのでしょう。

その和紙の間を歩んでいく様子を

「波間」にたとえて、広い広い海のなかを進むようです。

「進む」という動詞によって堂々とした

清潔さが備わっています。

工房という職人の聖域ともいえる場所に入っていくときに

その空間の美しさを十分に伝えていると思います。