波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2018年5月号 2

最近、絵を描いてはツイッターに1枚アップ、という試みをやっています。

意外に続いていて、「他人の目に触れる機会を作る」のが

モチベーションになる、ということを感じています。

・・・っていっても私は鍵つきアカウントなので、

だれにでも見てもらえるというわけではないけどね。

(そしてめったにフォローリクエストを承認しない)

連結のガシヤといふ音ゆび差して車掌二人が別れゆきたり    清水 良郎   P28

駅で見かけた光景でしょう。

車掌さんにしてみたら、いつもの仕事のごく一部ですが

乗客の目から見て描写してみると、

ひとつの面白いシーンになっています。

「連結のガシヤといふ音ゆび差して」がとてもいい点です。

実際には音は目には見えないのですが

あえて見えているふうに描写することで

その音に存在感が出てくる。

漫画では擬音語をよく文字で描きますが、

なんとなくそんな感じもします。

駅でのちょっとしたシーンから

短いドラマを作っている一首です。

また「別れゆきたり」もいいと思います。

ただそれぞれの持ち場に移動するだけなのですが、

つながりあっていた二者が「別れ」ると描写したことで、

ただ役割だけの存在ではない、

それぞれの人間味が浮き上がるのでしょう。

三日月が傷のようにも見えており真冬にひそかなる避雷針      黒沢 梓    P33

細い三日月が空に出来た傷のよう、という

見立てには既視感があるのですが、

地上の建物の屋上に設置された避雷針が光景に加わることで

避雷針によってその傷が作られたようにも思えます。

避雷針の存在を意識することは日常ではほぼないのですが

細いフォルムが空に向かってつん、と伸びていて

空を引っ掻くことになったら、ちょうど三日月になりそう。

たぶん主体は最初は三日月をみあげていて、

さらにその下にある避雷針を見つけて

傷と避雷針の関係を連想したのではないかな、と思います。

真冬という厳しい季節だから避雷針の

細いフォルムや切っ先の鋭さにより迫力を感じる。

他人があまり気づいていないシーンを

自分が見ている、という自負のような感情も感じます。

昨日まで胴と頭でありしかな少し離れて雪玉ふたつ      畑 久美子    P65

雪だるま遊びは楽しいものですが、その後はあっけなく

崩れたり溶けてしまったりするものです。

この歌のなかでは、頭と胴体が離れてしまったという

ちょっとかわいそうな雪だるま。

もうすでにふたつの雪玉になってしまった状態で、

たいていの人からは見向きもされないのでしょう。

さりげないのですが「少し離れて」という点がいいなと思います。

すこし離れた距離があるから、かつてはつながっていた

ふたつの雪玉を思わせます。

「雪だるま」という言葉を使わずに、

「雪玉ふたつ」としたことで、主体からすこし距離があります。

この距離感があるから、そこに読者が

想像力や情感を広げる余地が生まれるのでしょう。

風が風に吹かるるような川沿いでのむNewtonはりんごのビール    白水 ま衣    P65

「風が風に吹かるるような」という描写を考えると、

あまり強くはないけど、風がそこそこあって、

柔らかい布なら、はためくくらいの状態ではないかな、と思います。

気持ちのいい川沿いでゆったりとのんでいるのはフルーツビール。

しかも「Newton」っていう名称がいいな。

フルーティーな青りんごのビールらしいですね。

りんごが落ちる様を見て万有引力に気づいた

エピソードからきているのでしょうけど。

さわやかでありながら、ちょっと寂しげ(?)な

雰囲気があるのはどうしてだろう。

風がつぎつぎやってきて、なにひとつ変化しないもののない

時間の流れのような大きなイメージが背景にあるせいかもしれません。

山帰木の実をリースにと近寄れば棘に巻かれる墓石のあり         吉川 敬子     *「吉」は土の「吉」です。      P77

「山帰木」は「山帰来(サンキライ)」の誤字でしょうか?

検索してみましたがわかりませんでした。

主体は山帰木の実をリースに使おう、と思って近寄ったけど、

よく見たら墓石にそって成長していたみたい。

棘があることで、なんだか墓石を守っているようにも思えます。

これがもし墓石でなかったら、予定通り、

実を取っていたかもしれないのですが・・・。

結局このあと、実をとることなく、

そのままにしたのではないかな、と思います。

ひとつのシーンのその後を思わせて、余韻のある歌です。

単に詠まれた内容を伝えるだけでなく、

その後の展開を想像させたり

周囲にあるものを予感させたりするのも

作品の力量のひとつではないか、と思うのです。

直接は書かれていないことや、描かれていない背景にまで

人の想像を働かせる、そんな厚みがあると思います。