波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2018年3月号 1

だんだん暖かくなってきて、ほっとしています。

桜がちらちら咲いていて、お花見のことを考えてしまう。

今年はどこの桜を見に行こうかな。

塔3月号が届きました。

並びいる四角きパックに冬の水しずもりており豆腐を囲む         吉川 宏志  P4

スーパーに並んでいるたくさんの豆腐を思い浮かべます。

ひとつひとつの豆腐はパックに入っていて、

その周りにぴったりと水があります。

「冬の水」としたことでなんだかいつにもまして

冷たい雰囲気が漂います。

四句で切れて、結句で「豆腐を囲む」としたことで

白いパックの中に在る豆腐ではなく

水に注目して詠んだことが際立ちます。

ひとことの反応もなき受話器から十一月の雨が聞こえる    山下 洋   P5

電話で話していて相手が無言になっているシーンでしょう。

いまどき「受話器」という表現自体がやや珍しいかもしれない。

家の固定電話かな、と思います。

相手が無言であるが故に向こう側で降っている

雨の音ばかりが聞こえてきます。

「十一月」という季節の提示によって

かなり寒々しいイメージが広がります。

電話というアイテムを使うと、距離を隔てていても、

音声によって相手の近さを感じることになるのが普通ですが

この歌では相手の声は聞こえず、ただ冷たい雨の音だけが聞こえてきます。

そのため、よりいっそう冷え冷えとした感じがします。

すでに葉は落ち尽くしたり飴色のひかりの奥に浮かぶ柿の実   松村 正直   P6

すでに葉の落ちた樹、広がりのある空間

⇒飴色のひかり、秋の空気感

⇒鮮やかな色の柿、という語順で見事にクローズアップしていきます。

柿の葉はもうすべて落ちてしまって、

秋の光のなかに柿がぽつんと実った姿を見せている。

「飴色」「柿の実」といった言葉の選択で色彩を感じさせます。

的確な描写で秋のワンシーンを鮮やかに切り取っています。

セーターがあいまいにする輪郭の冬の日のなか妊婦が光る    澤村 斉美   P12

妊婦さんはゆったりした衣類を身にまとって

ボディ全体をすっぽり覆うようになります。

たっぷりとしたセーターを着こんでいる女性ですが

冬の日に反応して内側からひかるような存在感。

澤村さんはいまは育児の真っ最中。

かつて自分自身が妊婦であったことを思い出したのでしょう。

これから新しい命を生み出す人をそっと讃えているような一首です。

園庭の柵につかまり手を振りぬ心細さは輪郭なのだ     永田 紅   P13

こちらも「輪郭」に注目した歌です。

お子さんを保育園に預けていく歌かな、と思います。

保育園の柵につかまりつつ小さな手を

振っているお子さんを見ていると、

その繊細な輪郭に「心細さ」を見て取る。

母である作中主体にも寂しさや心配はあるのでしょう。

小さな手のちいさな動き、

そのなかにある不安や寂しさ、

母子の気持ちのつながりを微細な動きから感じます。

去年屋根を覆いしブルーシート敷き掘ったばかりの里芋を干す     本間 温子  P15

作者は鳥取県の方。

地震から月日が経って、里芋がとれる時期が来たのでしょう。

ブルーシートは地震など不吉な記憶と結びつくアイテムですが

そのうえにごろごろと里芋を置いて干すことで

進んでいく歳月を感じます。

災害ののちも生活は続きます。

「掘ったばかりの」という点に

いまそこで生活を営んでいる感じがあります。

まだ土の香りがする里芋、住んでいる土地との

結びつきを感じる詠みかたです。

晩年を会いそびれたる大伯母の大椎茸の天麩羅の湯気       山下 泉    P16 

大伯母に会いたい、という気持ちはあっても

なんらかの事情で会いそびれたのだろう、と思います。

下の句に集中的に置かれた「大椎茸」「天麩羅」「湯気」といった

漢字の並びが面白く、大伯母さんのイメージがふくらみます。

椎茸の天麩羅は、大伯母さんとの思い出のある一品なのでしょう。

「湯気」という語がなんだかヒントっぽくて

はっきりとした記憶ではなくて

もうあいまいになってしまった記憶なんだろう、と思わせます。