波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2018年1月号 4

川の面に刺さりて鮎を釣る影を橋にもたれて数えておりぬ    永久保 英敏  P120

鮎釣りのために来ている人たちの

「影」に注目して、しかもその数を数えているという歌です。

人そのものではなくて影への着目、

数を数えるという行為になんだかこだわりがあります。

川のそばでずっと動かない影のいくつかを

じっと見ている、屈折した感じの漂う歌です。

届きたる差出人の月へんのきみの名前がいまも眩しい    萩原 璋子   P136

わりと前から知っている人なんだろうな、と思います。

おそらく久しぶりに届いた郵便物の差出人として

相手の名前が書いてあります。

名前のなかの「月へん」でとっかかりを作って

「きみの名前がいまも眩しい」と続きます。

たぶん、差出人にかつて憧れなど抱いたことを

名前を手掛かりにして思いだしているのでしょう。

海馬より深いところの夕焼けに立てかけられている一輪車    逢坂 みずき   P137

海馬は人間がものごとを覚えていくための脳の領域です。

海馬よりももっと深い部分ということは

本当に人生のなかの初期の遠い思い出、といいたいのでしょう。

夕焼けのなかの一輪車は

子供時代の象徴であり、

もう戻れない時間そのものです。

ときどきは振り返ってみる記憶なのかもしれません。

包丁をぬるりと拭いて店頭に肉屋の男顔を向けたり    小圷 光風    P140

肉屋の包丁なのでかなり大きな包丁だと思います。

妙な迫力があるのは

初句、二句の包丁の拭きかたにあるのでしょう。

「ぬるりと」とはなんだか生き物の血だけでなく

雰囲気を纏っている感じがしてなんとなく怖い。

男が包丁を拭いてから店頭に顔を向ける、

それだけの歌ですが

怖さを含んだ描写になっています。

研ぎたての包丁の刃に吸ひ付きつつ切られてゆけり柿の果肉は    高野 岬           (「高」ははしごの高)    P154

こちらも包丁の歌。

研ぎたての包丁を使うと、食材を切るときの

感触がちょっと違いますよね。

「刃に吸ひ付きつつ」という着目がとてもいい。

柔らかくて赤みのある柿の果肉が

刃物にぴたっとひっついて、でもカットされていく

プロセスを的確に描いています。

麦播きのすじごとにかかる蜘蛛の糸ひからせるため二歳は屈む    吉岡 みれい  P166

北海道に暮らす作者の歌です。

「麦播きのすじごとに」という描写がとてもいいな、と思います。

二歳の子供にとっては蜘蛛の糸

とても不思議に思えるのかもしれません。

角度によって光って見えるから

屈んでいるのでしょう。

きらきらした視線がうかぶ歌です。