波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年12月号 3

あのひとの失くした部分にちょうどいいオシロイバナのたねをください   小川 ちとせ P97

大事な人の欠落した部分を埋めるために

オシロイバナのたね」というささやかなものを願っています。

丈夫で育てやすい「オシロイバナのたね」を使って

せめて失くした部分を埋めることができるのか。

とても素直な物言いがすっと気持ちに入ってくる歌です。

再びの眠り来らずジーンズの旧りゆくごとき夜明けを眺む    益田 克行   P105

まだ暗いうちに睡眠から覚めてしまって、その後も

ついに眠れずに朝を迎えたのでしょう。

だんだんと夜が明けて空が白んでいく様子を

ジーンズの旧りゆくごとき」という比喩でとらえた点がよくて

ジーンズが色褪せて古くなっていく年月と

しらじらと夜が明けていく時間の流れとが重なります。

ゆうぐれの幟のなす影この夏の日々を取りだすように踏みゆく   中田 明子    P106

どこかの店舗の前でも歩いているのか、

夕ぐれのなかで細長い幟がつくる影がいくつか連なっているのでしょう。

幟の影を踏んで歩いている動作について

「この夏の日々を取りだすように」という比喩が面白く

一歩一歩に重さが備わります。

「影」というたしかに存在していながら、

普段はあんまり強くは意識しないものを踏んでいるという動作によって

すでに過ぎた日々のあれこれをたどる心理へのつながりが興味深いです。

コン・ペイ・トウと唱へて三粒もらひたり赤青黄の金平糖を    有櫛 由之   P110

小粒でイガがあって、見た目も可愛い金平糖

「コン・ペイ・トウ」という表記も可愛らしく、

「ひい、ふう、みい」みたいに数を数えているようにも思えます。

手のひらにのせた小さな金平糖

人間の肌の色と、小さなお菓子のカラフルな色も浮かんできて

楽しい一首です。

水のみを求めし肉の奥に在る愛だけが骨 よく曲がってる    中村 ユキ   P117

とても不思議な一首です。

生き物の体内にある骨に注目してさらに

「愛」に結びつけています。

「肉」は生きていくために欠かせない「水のみを求めし」だけど

体内の「骨」が願っているのは違う、と言いたげのように思うのです。

そのうえ、一字空けのあとの結句で「よく曲がってる」と表現されると

とても屈折していて簡単には叶わない感情の存在が浮かんできます。

死後に観る短編映画の片隅で観たかったものだけを演じる     吉岡 昌俊   P135

こちらも不可思議な雰囲気のある一首です。

「死後に観る短編映画」のその片隅で

同時に「観たかったものだけを演じる」。

生きている間には手に入らないものや叶わないことが

どうしても増えていく。

観たかったこと、演じてみたかった自己などを

死んだあとの空想に託しつつ、小さな世界を立ち上げています。